42 『 オンボロ自転車 』

 その朝、スカッと目ざめた、とたんに、昨夜のテレビの、市主催の、サイクリングに参加してみたく、カバッと跳ねおき階段を、かかとに力を入れてドシンドシンと降りる。

 

  七時を、時計の長針は指している。すぐに玄関横に投げ捨ててある自転車をひき、試乗すると、ギーギー、ガラン、ガラン音をあげるが役に立つ、階下から

 

  『オイ、起きろ』

 

と大声して呼ぶが<ウム>とも<スン>とも応答がない、<コイツ、日曜と思い狸寝入りだ、どやしつけてやろう>と、思い、必要以上に足音荒く階段を上がってみると、妻は大股を展げて白河夜舟でござる。

 

   『起きて下され、弁当がいる』

 

と頼む。妻は赤い寝巻姿のまま不承不承におきいでて、弁当の支度にかかる。

 

   『早くして下され、八時集合だ』

   『そんなに急がされても、手は二つしかありませんよ』

 

と、朝寝の快眠を防げられたから文句をいうが、チャンと、玉子焼きをつくり、ノリ巻のにぎりめしを数個にぎっている。そえを手早く新聞紙に包み、自転車の荷台にくくりつけて、ペタルを踏むと、ギーギー、ガラン、ガランと、車体は悲鳴をあげる。

 

  ガラン、ガランは、タイヤが湾曲しているため車体に、回転毎にふれる金属の泣き声だ。

 

  どうにか、オンボロ車は八時前に、市役所に着く、子供が四十人ほど集合し、年輩者は、指で数えて十人に足りない、同年輩の一人に、

 

   『はじめてですが』

 

と、きくと

 

  『私も、はじめてです』

 

  と、この人も心細い、そこで、主催者の市の人に

 

 『大丈夫ですか』

 

と、きくと、太鼓判を押してくれるが、小学生や中学生の自転車をみると、サイクリング用のピカピカと光った、十段式特殊ギァーの、最新のものばかりである。それに引きかえて、私の自転車は、ハンドルの幅が広く、車体はくさった軍艦のように、さびついて、スマートな子供の自転車の側では、年老いたガマ蛙のように見苦しい。中には発動機つきの軽快なものもあり、

 

   <ナニ、オンボロでも、われ足に自信がある>

 

と、痩せ我慢をし、胸を張っている。参加者には参加票が配布され、住所氏名年令まで記入を求める。いよいよ集合の号令があり、わが愛車を引いて行かんとするや、オンボロ車は死人の如く足は重く、動かない、いつの間にか、後輪のタイヤの空気が抜けている。

 

  これには心中あわてるが、近隣に自転車屋はなく、修理は不可能だから、所詮あきらめるよりほかにない。

 

   『タイヤの空気が、ぬけました』

 

と、市の係員には、恥しくて言えず、負け犬のように、コッソリと、その場を、ぬけて帰路につく、(オンボロ車を捨てよう)と、心中思うも、都の真中は、ビルが立ち並んでいて捨てるところがない。

 

  私の自転車経歴は古く、かつ苦い思い出が、多多ある。乗り始めたとき、坂道にかかると、必然的に、スピードを増して走る。

 

   『アッ、危ない』

 

と、瞬間、ブレーキをしめるが、ハンドルはきれず、いきなり、女の人の股間に真向って、ぶつかってしまう、幼い私は、自転車にはね飛ばされる、女の人は悲鳴をあげて倒れる。起きあがるや、

 

   『あんた、どこの坊主』

 

と、ひどくしかられる。また、海岸ぞいの一直線の道を、両手を離し、曲乗りをして得意になっていると、道路の側面に犬走りにいた牛が、網を切って、道路に現れてくる。

 

  幼い私は驚いたが、間に合わず、自転車もろとも、寒中の海に、シャドルの上に乗ったまま空中を飛んで突っ込んで行った。また、フルスピードを飛ばしていて、道の小石に突き当ったとき、車体は止まるが、その反動のためにハンドルが折れ、乗っていた私は、物理の法則の加速度に乗って、いきなりに顔から地面に墜落した瞬間、目からカチカチと火花が吹いた。目から火が出るということは文学上の修飾語ではなく、科学的な現象であり、わが身の勇ましい体験である。

 

  青春時代、互いに大いにメートルがあがり、気宇浩然となり、店先においてある自転車を、酔った馬鹿力で、担ぎ、夜の河に投げこんで、逃げてかえる。犯人は旭町の独身役人と、商人は思うが、警察には届けず、若者の無軌道を黙認する。げに、昭和のはじめは、泰平の世の中であった。

 

  そんな過ぎし日の思い出に、ふけりつつ帰っていると、ひとりの若者が

 

  『尾道まで歩くと、今日中に着きますか』

 

と、突飛な質問をする。いささかに戸惑うていると、

 

   『夕べ、岩国を出て、歩いてきました。金がなくて、朝食は喰えずヘトヘトです、百円恵んでください』

 

と、神妙に頭を下げる。

 

  この若者め、不らちなり

 

 と、心中を、あるものが、かすめるが、若者の靴をみると、砂塵で、靴は真白く汚れていて若者の言葉に嘘がないと、信じ、

 

   『ウム、やろう』

 

と、同病相憐の心となる。しかし、財布を見せると、

 

   『もっと呉れ』

 

と、要求しかねまいから、ポケットの中で、財布の口を開き、ポケットの中に、あり金を落とし、ギザギザのついている百円玉一枚を取り出して、あたえる。

 

   『君、尾道までは、100キロはある、とても無理だ、交番所で借りよ』

 

と、親切にすすめる。

 

   『イヤ、イヤ、歩きます』

 

と、交番所を忌みて、トボトボと歩いて行く。<こいつ、ほんとに尾道に行くのか>と、私は、まだ若者を疑い、自転車をそこにおき、若者の後をつける。若者はふりかえりもせず、二号国道を、真向に尾道は向かって行く、この若者は、上衣も着ず、シャツ一枚で一物も持たぬ、しかも、いが栗坊主であり、その上警察を避けるのは常人ではなく脱獄囚かと疑心暗鬼するが、密告する気心にはなり得ず、いつまでも若者の後姿を見送っていた。

 

  私も、オンボロ自転車を押して、トボトボと、わが家路へ急ぐ。

  

  歩きつかれて甥の医者の家に立寄り茶をもとめる。若い美人の妻君は、

 

   『伯父さん、この車、どこで拾ったの』

 

   『おれのだよ』

 

   『ソー』

 

と、不しんの表情をする。ようやくに、わが家にたどりつくと、妻は、

 

   『なぜ旅費をあたえなかったの』

 

と、私の非情を責める。数日後、甥の妻は

 

  『おばさま、おぢさまは相当の強い心臓よ』

 

   『アノ、オンボロ自転車を押して、町中を、よくもヌケヌケと歩くわね』

 

と、わが妻に報告する。妻は責めるし甥の妻女には罵倒されるし、私は惨たんである。ともあれ、オンボロ車は数ヵ月前、わが家の前の道に投げ捨ててあり、風雨塵にさらされて、赤サビとなっていたのを道の邪魔物と思い、わが家の玄関横においている所有者不明の謎の自転車であり。パンク修理に出しそのまま忘れていたら、自転車屋から『早く、とりにきてくれ』と、催促があり、やむを得ずとりに行く。

 

  オンボロ自転車は、いまも玄関そばにいて、ほんとうの所有者の現れるのを待っている。