27 『 宇野重吉さん 』

  新聞記者は、手廻しがよく、その手際の、鮮かなことには、驚く。

 名優、宇野さんの宿を訪うと、新聞記者は待ちかまえ、

 応接室に録音テープ器を備へ、二人の対面を待っている。

 

  宇野さんが、現われるや、テープは廻転し、突如!!

 砲声轟く戦場の雰囲気となる。宇野さんは

 

 「この物語の主人公は、あなたでしたね」

  「アイ、名優に代役していただき、光栄です」

  「イヤ、私は、税務署長さんに会いうのは、おそろしいですよ」

  「どういたしまして」

と、天下の名優に会い、私は緊張する。テープの砲声がやむと、

 

  「アア、戦場は暑いからなあー」

  「水牛の屍体から発する臭い嗅気は、たまらんのー」

と、一兵の私の、代役者宇野さんは、あの特異な地獄の壁から発する、あの声で叫ぶ。

 

  「オイ、早く架橋せんと、後続部隊がきたぞ」

と、米兵が爆破して逃げた鉄橋の、復旧に必死の、私達兵隊を叱咤するは、大村軍曹である。

 

  ラジオ中国は『日本の遺書』と題し、人間魚雷、従軍看護婦哀話など、大東亜戦争中の秘話を後代に残さんとし、シリーズものを作成する。

 

  たまたま、NHKの、当時視聴率の高い『私の秘密』 に、思わぬことから出演し、17年ぶりに、人生劇場の作者、尾崎士郎先生と、再会し、

 

  「あのときの、俳句を作った兵隊か」

  「アー」

  「よく、生きてかえったなあ」

と、二人は舞台の上であることを忘れ、相擁して泣く。

 

  全国の視聴者は、生死の間際においても、俳句を作る一人の男の心に感動し、どの週刊誌も高く評価し、筆を揃えて『戦場に咲く佳話』と書く。ラジオ中国は、

このことと、私の戦闘俳句を脚色し、『比島の戦場に咲く花』とし、37年春、45分間という長い放送をする。

 

そのテープを、新聞記者はわざわざ取寄せ、宇野さんと私の対面を、舞台装置にのせて効果的にせんと、配慮する。しかし、初対面であるが、本人さんは目の前にいて、もう一人の宇野さんが、回転するテープの中から声を発するので、私は、妙な倒錯感に陥る。そして私自身は、ある物語りの主人公となり、その代役者と相対し、しかも、その人は、天下の名優であるので、面映えて、足の裏がこそばゆい。

 

  宇野さんは、テレビの画面に写るように、表情は明るくないが、声は澄み、オルガンの音のように冴えている。あの暗い声は、舞台の上の擬声であることを知る。

 

  宇野さんの顔が青かったのは、地方巡業のため、疲れていたようである。

 

  宇野さんは、物語りの主人公の私より、税務署長の肩書に興味がある。

 

  「税務署長さんは、大変でしょう」

  「ハァ」

  「税金は辛い、一座をかかえていると、経費が莫大かかり、税の重さが、肩を押しつぶしますよ」

といい、名優も税金には苦労している。そして、言葉は一寸烈しく、

 

  「労音に、なぜ課税する」

  「ハァ」

と、私は声につまり、

 

  「会費制の場合も、経費課税をしており、その課税の可否は現在裁判中であり、やがて結論が出ます」

と、答弁をさける。共産党員であるという宇野さんは、労音の強い支持者である。

 

  「私達は数字に弱くてね」

  「署長さんは、いい知恵をおもちでしょう」

  「そんな秘宝は、ございません」

と、答えるが、不満の様子である。

 

  その数カ月前に講演にきた大宅壮一先生に面会を求め、日本の税の批判をして貰い、参考にしようと思うが、税金は専門でなく、わからぬと、多く語らぬ。

 

  評論家の先生は、皮肉家であり、尾崎先生と、私のテレビ対面が、劇的であったため、

 

  「芝居でないか」

と、高橋圭三さんと、週刊朝日の対談誌上に洩らしている。私はその誤解をとくために、実は宿を訪ねたのである。その風貌と、毒説する演壇上の大宅さんは魅力がある。しかし、じかに対談してみると、上唇から発する奇声は、鶏がものをいう風になり、愛嬌少なく全く田舎おやじである。

 

  「一体に、文化人は、税を毒づきますね」

と、暗んに芸能人代表の宇野さんを責める。

 

  「ハア、ハア」

と、この人も意中を洩さず、軽く逃げる。

 

  半刻ほどの短い対談であるが、名優のこの人は、実践的能力のある人と、感ずる。

 

  「先生、色紙をお願いします」

と、申出ると、心よく引受け、翌日届けてくれる。

 

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