26 『 投書天国 』

  投書は、風当りの強い税務署のつきものであり、無名、変名なかには住所氏名を名乗り、調査の結果を要求するのがある。

 

  この投書には地方色があり、地方の人情、人柄が窺えるのは面白い。

 

  城下町は、白い土塀と、武家屋敷のある風景から、人情情緒豊潤とおもうが、投書からみて、ミミチイ面がのぞく。

 

  曰く、「間貸していて、税金納めていない」

  曰く、「和裁の内職で、相当稼いでいる」

 

  投書は庶民の声であり、おろそかにならず、税務署は、投書整理箱を設け、極秘書類とし、一件一件ベテラン調査官が調査する。

 

  調べると「和裁します」の看板をかけず、近所の縫物をしているが、税金をかけるほどではない。古い、だだ広い屋敷の一部を仕切って、間貸しているも、老夫婦二人の控除額を引くと、課税対象外である。

 

  武士の血を引く城下町は、律義者が多いが、金銭的には細く、本税は払うが、延滞金は、借りた覚えがないから、利息は払わぬと、拒む。

 

  僅か二十円の延滞金でも、拒まれて引下るわけにはいかず、三日通い、納めて貰ったことがある。武士は喰わねど高楊枝だか、昔から、質倹の茶粥生活が、金は無駄使いせぬが、反面、他人が儲けると、気に喰わず、さ細なことを投書する。

 

  この点、出雲人は、神国と、自負するほどに投書に品位がある。

 

  「其れ、豊葦原瑞穂(とよあしはらみずほ)の国は、神代より農は邦の宝なり、さるに五穀の種苗を業とするもの、税を納めず、闇行商するは、農をけがし、国を損するものなれば、ここにより税務署長はこれをすみやかに捕え、厳しく罰するなり」

 

と、古代調にして、さながら神様のお告げである。

 

  概して出雲人は情朴とつであるが、反面粘り強い。

 

  「よく、わかりました」

と、その日は素直に引下るが、翌日またきて、

 

  「納得出来ぬ」

と、粘る。その夜は、私の宅まできて、哀訴する。それでも

 

 「駄目」

となると、一銭銅貨を袋に一杯つめてきて、

 

  「これで、税金を納める」

と、何千枚の銅貨を床にばらまいて、

  

  「あとは勝手にせよ」

と、帰っていった。魚屋の女房が、滞納税金を約束の日まで苦面し、遠方から税務署に納めにきた翌日に一枚のハガキが舞い込み、たどたどしい字で、

 

  「苦辛して税金を貯め、おさめにいったが、税務署のものは、だれ一人、ありがとうといわず、薄い紙切れ、一枚をくれたあ」

と、文は短く意は足りないが、返って、それが、私の胸を打ち、虚をつかれて愕然とする。

 

  すぐ、車を飛ばし、平田町の魚屋を訪ね、厚く礼を述べ、それから署員に訓告し、礼を述べるよう教育する。当時の領収書は便所紙のように薄く粗悪な用紙であり、汗と油の結晶の税金の受取書としてはまことに粗末であった。

 

  竹原署にいるとき、退役軍人らしい老人からは、

 

  「やみ米も買えず、喰うのに困り、やせおとろえた吾が身は、ぬれた障子の如く、骨と皮となる。それでも、税金は納めねばならぬか」

と、苛酷な税を呪い、どうこくの手紙がくる。何千通に及ぶ納税者の苦情の書翰に接するが、この二通は、最も私の心を打ち、文章をいまも、そのまま覚えている。

  

  そのころは、日日更生決定に対し、不服や苦情が、庶民の怒りとなり、怒涛となって税務署に殺到した。頭からどなりつける落雷型、哀々切々と訴える哀願型、お前等ダラ幹は皆殺しだと、すごむ型。税務署を焼討にする天誅組、というのもあれば、税務署へ行き、首を吊るというのもある。これに対し、精一杯の文字と、誠意を披瀝し、返事を書くことは容易な努力でなかった。「俳句で結ぶ納税美談」として、私と、竹原の一薬店主との間に交わした応酬の手紙を地方新聞が掲載する。この人は、三日毎に、郵便局から税金を郵送する都度、一句を書いており、一年分の税金四十数回目に完納した。

 

  戦後の、税の負担が、苛烈であったことを物語るものである。最も感銘深いのは。戦争未亡人が、水茎の跡うるわしく、二人の子女を育てる苦難を、つつましく述べ、税のため、嫁いできたときの晴着を売り、金を作りましたと、三千円の小為替を同封し最後に一句で結び、

 

  ゆく春や 晴着一枚 売りにけり

 

 と、ある。この手紙は回覧し、辺句をあつめ、某女へ

 

 晴着売る ひとをおもやう 春の雪

 

と、この一句を入れて礼状を出す。

 

  岡山県の○○市は美人のいる城下町で、輸出向きの帽子の内職や、ミシンの賃仕事が多く、中流家庭の妻女が、皆家庭で、手内職をしているが、これに対して投書はない。

 

  しかし、小都市の商人の生存競争は、内面において烈しく、投書は多い。ひどいのは、戦後、密告者に対する報奨金制度があり、報奨金目当てに、会計係が、会社の内情を密告し、報奨金を早く呉れと、税務署に請求する者がいた。山口県の○○市は、村から一躍、市となり、地元人は少なく、寄合世帯の日本における、いわば植民地であり、解放的で。進取に富み、隣人には干渉せず、姑息な投書をこのまない。炭坑成金の妾となり、旅館、料亭を営む女将を軽蔑せず、むしと尊敬する。地価は安く、物価は安く、住みよい町である。

 

  ここの銘菓店の主人は、若い後妻の歓心を買うため、売上金をぬいて、宝石を買う。

 

  それを、息子が妬いて投書するが、余人には迷惑をかけず、良心的である。広島人は、お人よしであり、万事ザックバラン型が多く、思い立つと、ジャンジャン投書する向がある。

 

  その文は、端的であり箇条書きする。

 

  『近所の豆腐屋の、豆腐はやわらかく、水ばかりだ、儲けている、税金が安い』

と、女の投書が三通くる。直ちに調査するが、脱税はない。

 

  一番多いのは、基町と宇品の密造酒の投書である。宇品の密造部落は、警察官以外は、立入ることが出来ない集団工場であり、警察官数十人の応援を得て、急襲する。蒸留機械、モロミ箱や、原料の米を、数台のトラックに積み押収するが、彼等は、すぐ工場を再建し、しょうちゅうを造り、市内の、屋台店に売る。治安当局の、一要人は、

 

  『密造は生活の糧である。これを根こそぎ叩くと、泥棒や犯罪がふえる』

と、いう。しかし、税務署は絶滅を期して取締るが、彼等は、根強く立直っていた。

 

  ある投書により調査するが、脱税の確証は掴めず、空しく、引揚げるや、翌字おなじ筆跡の投書がき、

 

  『調査官は、手ぬるい、あのとき便所に入った、女事務員を、なぜ追跡しなかったか、二重帳簿を便所に持って逃げた、ボヤボヤするな』

 

  『二重帳簿は事務所の、倉庫の古新聞の山の中にある、すぐ来い』

と、指摘してくる。早速、ベテランを差向けるが、二重帳簿は見当らぬ。

 

  すると、また翌日、

 

  『時機を逸した。社長自宅にかくした』

と、投書は執拗であり、挑発的である。よって社長宅を、家宅捜査するも、何一つ得るものはなかった。同じ投書は、労働基準局にも行き、これは、就業規則違反の科により、会社は罰金を喰う。おもうに、この投書の主は、低賃金の恨みを晴らすため、税務署と、労働基準局に、投書し、一枚のハガキが、意外の効果を示すことに、興味を覚え、つぎつぎ投書したのである。かかる根拠なき投書は、税務署には、迷惑極まるものである。投書の多くは、中傷によるものが多く、その確立は低く、二割程度である。

 

  某会社の幹部は、会社の不正経理を、見るに忍びず、ひそかに、脱税摘発を申出る。

 

  大会社の書類は、山ほどあり、トラック二台で書類を押収し、調査は年月を要し、結論が出るのは半年かかる。調査官の調査態度は、峻烈であり、酔心の原田社長は、脱税容疑で、査察の調査をうけたときの精神的、肉体的な苦労は、言語に絶すると、その書『なに糞経営愕』に書いている。

 

  ある仲居も、喰い下がる調査官に勝てず、二重帳簿は、古寺の庫裡の奥に隠匿してあることを自白し、大きな脱税が発覚する。○○医院の場合は、投書ではなく、調査すると、カルテの使用数量と、在庫品として、あるべきアンプルの数量が符合せず、目をつけられていて、三年後に、手入れされたのである。脱税には、多くの場合過去三ヶ年、悪質者は五ヶ年を追徴され、その上、重加算税と、利息が附加し、儲けた金額以上を納めることになり、常識では倒産せざるを得ないが、どの会社も益々発展しているのは不思議である。

 

  ここに世間が全く知らない秘話を一つ。

 

  脱税に対する重加算税は、立法当初は五十%である。数年前三五%と大幅に低率となる。

 

  日本の税法において、過去税率の低くなった例はなく、大英断であるが、これは政府が下げたのではなく、また、代議士が運動したものでもなく、第一線の税務署員が五十%という高率な罰金の課税に対し無言の抵抗をしたためである。

 

  いくら国税庁のえらい方が、第一線の税務署の尻を叩いても、五十%の重加算税を、第一線の署員は納税者に同情して課税しないのである。

 

  もともと、日本の現行税法は、アメリカ人の知恵を取入れるが、情深い日本の税務署員は、重加算税の適用に逡巡し、全国的に件数が少くない。そこでやむなく、引下げたのである。