22 『 玉のこし 』

  ある日、回数券を料金箱にいれ、電車を降りかける。その瞬間、一陣の風がきて、回数券は風に乗りヒラヒラと舞い上がり、いましも乗降口の階段に足をかけた、貴婦人のひろげた胸の中にすべりこみふっくらとした乳房の上に鎮座した。私はハッとするが、女の乳房の上にある回数券は、どんすることもできない。意外にも、貴婦人は、顔見知りの料亭のママである。

 

  「ママ、失敬」

と手であいさつし、炎天下をスタコラと行く。その乳房に、昔ずい分と悩まされたうらみがあり、回数券がかたきうちしてくれたと、心中、猛暑を忘れ、そう快だ。

 

  「まけてよ」

  「税金は商売ではない」

 

  「でも高い」

  「高くない」

 

  「そんなら待ってよ」

と、ママは執ようである。戦後は、女はアッパッパを着、竹筒が歩いているかっこうだが、このママは、広島でただひとり貴婦人の洋装であり、白い胸を露出し、乳房が半分のぞく、成熟した女体はムンムンもえている。広島弁で言葉は荒いが、白い乳房をのぞかせ

 

 「ねえ、待ってよ」

と悩殺する。

 

  「いや待てぬ」

と広島湾にうかぶ絵ノ島を、50万円で売ってしまう。現在は数千万円するが、当時はそんなものであり、その後、町で会うもそのことには一言もうらみを言わぬ。

 

  いまはウバ桜だが、若い彼女は美しく、その乳房には男たちは悩殺される。

その乳房に回数券が風のいたずらですべりこむとは痛快である。その年の秋、

 

  賀茂鶴酒造から案内され、八本松に行く。主客は、東京の尾崎先生奥様と、俵士君である。二・二六事件の首領、古賀中尉の妹さんも来ている。おくれて、元広島地検検事夫妻と、冒頭のママがくる。

 

 松たけは面白いほどあり、皆夢中でよろこぶ、酒は天下の賀茂鶴生一本、本場の松たけと、この野宴は風雅にして、美酒に酔い、とりたての松たけの放香に酔い、男たちは仙人となり、女人は天女となる。

 

  石井会長は、亡き尾崎士郎先生をしのび、歌声は涙となり、偉丈夫は泣いている。石井武志先輩は高まいな士であり、亡き尾崎先生は天真らん漫の、男の中の男であり、ともに、意気投合の間柄であり、未亡人を西条にむかえて感激し、男泣きに泣く。

 

 一座は、皆尾崎先生に縁のある者ばかりで、石井会長ともどもに、偉大な故人をしのび、泣きつつ歌う。やがて石井先輩は十八番の「千葉心中」を歌う。この歌は尾道西山別館で、亡き尾崎先生と一度聞き、きょうは二度目であるが、ばん声の中に、古い明治がにおう。男のせつない相聞の恋情がにじみ、ホロリとする。それもそのはずである。

 

  若き日、石井さんたちは、友人の男女が心中するのを下宿で壮行会をし、東京駅に見送って、当時流行の

 

 『 ああ夢の世や、夢の世や~♪ 』

の、千葉心中の歌をどなりたてて、心中行する二人を激励したのである。皆、冗談と思っていたが、二人は伊豆山中に服毒自殺した。驚いたのは見送りの壮行会をした石井さんたちである。

 

  石井さんの歌にホロリとするものがあるのは、昔の悲しい思い出が秘められているからである。それにしても、情死する友人に、壮行歌をうたうとは前代未聞である。

 

  足を机の上に投げ出し----年に一、二回かかるぶざまの態をする----うたたねをしていると、鈴をふるような天女の声がする。夢かと思い、目を開くと、和服を召した貴婦人が立っていて、ハッとする。

 

  「いろいろお世話になりました」

と、しとやかである。

 

  保険外交の竹野女史である。いつもとちがい、きょうは薄化粧がにおい、伊勢崎めいせんを召し、りんとして美しい。

 

  「結婚し、東京に行きます」

  「それはめでたい、夫君はいくつですか」

 

  「もう七十近い人です」

と白い歯に意味の知れぬしゅう恥がのぞく。この佳人は四十そこそこである。すると、三十は年齢差がある。心中、老いぼれにとつぐ、女の心情が不思議であるが口にはせず、

 

  「金持でしょう」

  「はい、実業家で、邸宅は八百坪あり、十億の資産家です」

 

  「ホントですか」

と、その巨額な富に驚き、ウームと、うなり次の言葉がのどにつかえて出ない。

 

  この命、百万円で売ると、銀座で男一匹売り出すが、だれも見向きしない。男のつぶしは、鶏の骨より劣り、三文の価値もない。しかるに、花盛りを過ぎた四十の後家は一躍し大富豪の令室となる。先日、小学校の同窓会に行くと、

 

 女は主人の遺産で、楽々と暮しているが、男は大して出世もせず、あくせく働いている。どうもこの世は、女が得をし、男は損である。ラジオ中国が「日本の遺書」と題し、人間魚雷や従軍看護婦の哀話等、軍国日本の放送番組を企画し、わたしの戦闘日誌を脚色し、名優宇野重吉が、一等兵のわたしとなり、45分間放送した。

 

  その放送をきき、レイテ湾で戦死した軍医の、夫君の消息を知らないかと、竹野さんは、わたしを尋ねてきた。山下大将の率いる関東軍は、十九年末に、比島に進駐し、わた部隊とともにマニラ北郊外にいた。関東軍は、一足先にレイテに行き全員全滅する。

 

  われわれの部隊は、艦船がまったく撃沈され、乗船する船がなく、レイテに行けず、おかげで戦死を免れる。いわば、関東軍は、われわれの身替りになってくれたのである。

 

  竹野さんの夫君はそのひとりであり、間接的に命の恩人である。戦場は一秒の差、一つの動きが、生死のわかれとなる厳粛な場であり、運のいいものしか、生きられぬのである。

 

  若くして未亡人となり、二児をかかえて、戦後の激動期を生きることは、なみたいていではなく、波荒き玄海を漂流する、ささぶねの苦難である。わたしは、ときに友人に保健をすすめて竹野さんに協力する。また、娘さんの就職を世話する。この礼とわかれにこられたのである。

 

  竹野さんは優しい人だが、これまで、一女外交員として見ていたが、結婚がきまると、急に美しくなり、ほほはいきいきと情熱にもえている。あさましいが、着物の中の、白いし体が絵のように浮かぶ。東京の財閥が、一度でほれこんだのも、この人が「ボサツ」に似て清く美しいゆえである。玉は高貴の胸に輝き、佳人は玉のこしに乗りて、そのところを得る。

 

  戦争未亡人に幸多かれ!