8 『 どさくさの恋 』

  レイテ沖海戦の第一報は

 

 「米艦隊を湾内に包囲し、わが掌中にあり」

と、無線が入り歓声をあげるが、これがまんまと、米の策謀にかかり、

 逆に日本艦隊は、無数の米艦隊に沖を封鎖され袋の鼠となり、内と沖から

 はさみうちとなり、翌日、わが艦隊は、もろくも海底の薄屑となる。

 

  その前頃から収容所内の米人捕虜達は、静かにしているが、生気があると気付く。

 

  五、六人集まっては、ヒソヒソ話をしており、

 

  「いまの機音は米機ですよ」

と、監視に巡回の私に言う

 

 「ノウ、日本機だ」

 「ノウ、ノウ、あの金属的な機音はロッキーだ」

と、空の遠くに蟻のようにかすむ機を米軍機と確信する。

 

  私は米人捕虜をとりわけ親切にはしないが、収容所を出て、作業に行くときは、禁止されている果物を買うことは大目にみていた。

 

  同年兵も口にはせぬが、皆それ位の親切はもっていた。このバキオ収容所は兵隊は一人もいず一般市民であり半数は宣教師である。一年近く警備に駐屯していたから、必要以外のことは話さないが、所内で会えば目礼する。

 

  「マッカーサーが近く進攻してくる」

と、私に言う。私は聞き流していたが、間もなく、レイテ海戦で日本艦隊は全滅し、

わが部隊にレイテ作戦参加の命令が下る。一兵にはその命令は知る由もなく、バギオを下り、

 

  マニラに進駐して、レイテ作戦参加を知らされる。皆、驚きはしないが、いよいよ最後だと

観念する。万一にも生還出来ると、淡い夢は捨てず、兵隊は妻子への土産の錦織の布切を背のうの底に秘めている。いつ弾にあたり死ぬかも知れぬ命運の中においても兵隊は妻子への土産をもっている。いじらしいものである。ところが、もう最後の日が近いときは、男の純情は怪しく、妻への操を守っていた男も慰安婦を抱く。

 

  糧秣も欠乏し、一食分を一日分として配給される。炊事当番は役得で腹一杯、食っている。

 

  俳句の友の田中が、炊事当番である。私と彼は飯盒に飯を一杯つめこみ、二人は鉄条網をくぐり草原に身をかくしながら走り、マニラ市内に潜入する。

 

  爆撃のため余燼がもえ、市民は逃げて、死の街である。やっと、目的の慰安所に飛びこむ。

 

  二人の女は、私達が運ぶ飯を待ちかねて、目をかがやかし、ガツガツ喰う。

 

  軍隊のメシを誤魔化して、慰安婦に運ぶ。田中も私も正常ではないが、女が喜ぶし、

いいことをしている錯覚がある。一人はスペインの二世で色白く、華しゃな体である。

 

  親と兄は日本軍に拉致され、抹殺されていると言う。

 

  「日本軍恨むか」

 「憎んでも仕方ない」

と、柔かい肢体は火のように燃えて抱擁する。

 

  「兵隊さん、日本敗ける、ミイと逃げましょう」

 「大事にするよ」

と、熱つぽい火の頬をひげ面によせる。私は田中と顔を見合す。田中もレイテに行き死ぬより

女と逃げたいのが本心である。

 

 「兵隊さん、子供産みたい」

と、しがみつき離さない。女と逃げれば命は助かるだろうかと思いつつ心の底に妻の面影がある。

 

  こんなときは、いつも結婚時の妻の美しい顔が浮び、もう二度と妻を抱けないかと、胸がキリキリする。ゴムサックをはずして深く交われば、ローソク病という性病にかかり、弾に当る前に苦しむのはやりきれぬ。逃亡罪は男の恥だ、女と逃げても、妻の愛情とこの罪に悩む。

 

  「オイ、田中かえろう」

と、炎上する市街を二人は通り魔のように走り、駐屯地に疾走する、

 

  生きてかえれぬレイテ戦参加のために。