6 『 恋仇と恋文 』
真昼の白日下で若い女が肌をぬぎ、パンツをぬいてシラミをとっている。
一人ではない。
十数人の娘たちが一糸まとわない裸体でからだをかがめ、シラミ取りに余念がない。
こんな素晴らしい光景は、いかに映画人といえども表現できないし、だれもが想像だにしない女人群像であるが、敗戦ま近い比島バギオ山中で、日本の従軍看護婦さんたちは人目をはばからず平然と行い、シラミを爪先でつぶす音に、心よい快感を味わっていた。
何か月も入浴せず、着換えのないわれわれのシャツやパンツの縫い目には、無数のシラミが発生し、絶好の住家と、安住する。
みんなシラミに不感性になっていて平気であるが、天候の良い日には彼女たちは外気のあたたかさに浮かれて、縫い目から出て胎動をはじめる。からだ中がムズムズしてたえられずシャツをぬぎ、パンツをぬいてシラミ退治をやらざるえない。
あるとき、敵情視察に出て敵中深く迷いこみ、小高い丘の上で飯盒の底のイモを食い五人がシャツをぬいてシラミを取っている最中に、突如敵の重機関銃の一せい射撃を受け、びっくり仰天し、シャツ、飯盒、銃をさげてアタフタと逃げて、敵弾の死角の山腹までいたり、それからゆっくりシラミを取る。
戦場五年のツワモノは、敵機や敵弾に対する危険から身体を守るカンは本能的に鋭いが、シラミの発生には皆閉口していた。
やまとんなでしこである白衣の天使たちも衣は破れ、靴は破損してハダシというみじめさである。
『兵隊さん、隣に寝せて』
と、行軍で歩きつかれた彼女達はテントをはる気力がなく一人寝の私のテントの中にはいり、私のからだにからだを寄せつけてねる。私は女の顔をみて黙ってうなづく。
草と木の実を命の糧として、栄養失調となっている私の肉体は色も恋もなく、情欲の血は失せてしまっている。
むしろ、この女はまだ内ももに肉がついているであろう。
締め殺して食ってやろうかという食欲の方が強い。
看護婦は、戦死した兵隊の肉を食い、友軍同士が殺し合いして食物を争奪する。
人間か、動物かの、ギリギリの限界まできていた。ある日、
白石中尉が、いつにもなく親切に
『大成、いもをやろう』
と小石ほどのいもをくれる。
『お前新竹だね、駅の寮の澄さんという美しい娘を知っているか』
という。
『知っています。隊長はどうしてご存知ですか』
と、いもをほうばりながら問うと
『ウム列車の乗務員のとき、あの娘をよく知っている』
『ホー、奇縁ですね、澄さんは妹の親友ですよ』
『フム、お前も惚れていたのか』
『ハァ』
と正直に答える。実は妹に嫁にもらうことを相談すると
『賛成よ、しかし、先着の人が台北にいるのよ』
という。若い闘志を燃やして、ラブレターを出すと返事はくれるが、態度はいたってあいまいであった。
その台北の男というのが実はこの白石隊長であったのである。
『お前と俺は恋仇であったのか、そして二人とも失恋したのだね』
とにが笑いする。ときがときなら「この野郎」と、恋仇として敵ガイ心をおぼえるのであるが、あすとも知れない命には恋も怨みもなく、むしろ不思議なほど恋仇の隊長に親愛感を覚えるのである。
××駅長には、ふり袖姿の女給が十数人花のように咲いている。
『ターさん、ひとりで帰ってくるのよ』
『オーさんもよ』
と、赤唇で叫ぶ。結婚適齢期の二人が内地へむかうのをあんじて、二人とも結婚せず、孤影悄然と帰り給えよと、まことに薄情な見送りである。
若い二人の心にはこれが青春の惜別かと、淡い哀歓があった、
門司で内台航路の瑞穂丸に乗ると、田中は二等船室におさまり、すこぶる美人の新婦を紹介した。僕も多少の自信はあったが、僕の新婦より数倍美人である。
彼の父は-「田中絹代と高峰三枝子をたして、二で割ったような美人で、お前の帰郷をドテをたたいて待っている」-と手紙を寄せていたが、まさしく絶世の美人であった。
新婚生活は滅茶苦茶であった。悪友たちが毎晩おしかけて、深夜までジャンにふけり、近所の女房連は、蜜のように甘い新婚生活をねたみ、新郎の過去の行状を誇大に宣伝して純情可憐な新婦の心を攪乱した。このために、新婚の夢がときに安らかでなかったことを告白し、世のうるさき女房族に自重を望む。この願いは私ひとりでなく、多くの男性の願いでもあろう。
ひとりで新居を守る妻が可哀想なので、泊り出張の予定を変更して、ひそかに帰宅し裏口から部屋に入ると、わが新妻は部屋中に書類を散乱して夢中で書にふけつていたが、私の突然の帰宅に驚くと同時に、今まで楽しそうにしていた顔がゆがんで、いきなり、美しいひとみから大粒の涙をポロポロと流しながら、うらめしそうに私を凝視した。
私は瞬間(しまった)と思ったが、もうおそい。万事休して、平謝りにわびたが、わが妻はがんとして、泣きやめずその熱涙で私の膝はびしょぬれになった。
結婚のため帰郷するとき、一切の書類は整理し、ラブレターも焼却すべく、裏庭にはこんだが、ラブレターを焼くことは、わが青春を焼き捨てるようで、その情にたえず、ふたたびバスケットにおさめて鍵をかけ天井裏にかくしておいたが、妻はこれを発見して、夫の留守中にたんねんに読みふけり、夫の罪状の探求にせい出していたのである。
おどろくなかれ、ラブレターは数百通におよび、バスケット一杯あったのであるが、我が恋は清くあわく、淡々流水のごとく文学を論じ、宗教、哲学を語るものばかりで、一通として甘くて、いかがわしいものはなかった。毎日かかさず内地より来信する女の問いに窮して、図書館に通い、勉強して返事を書いていた。数学は得意科目で、作文は苦手であった私が、ものを書くことに興味をもつようになったのは、ラブレターのおかげであると感謝している。
先日九州の古い友人がきて昔話しに夜を徹したが、彼もラブレターを新妻に発見されて、家庭争議をおこし、そのとき焼却したという。私の方は新妻が自ら焼却してくれた。
九州の友人は「ラブレターは青春の唯一の無形文化資材であるので、保存しておけばよかった」といっていた。私も同感であるが、今あのラブレターが現存していると、家内に頭があがらないので灰燼となったことを喜んでいる。
人生恋をすべし、ラブレターを書くべし、そして灰にすべし、そこに人生の妙味と哀歓がある。
!!ラブレターよさようなら!!