5 『 慰安所での弁当 』

 

 兵隊と子供達とはすぐ友達になる。

 「ユー、姉さんあるか」

 「ノー」

 「ないか、だめだ、姉さんある子を連れてこい」

 と掠奪品のピットモントを一本与える。その子は手つきも器用にうまそうに鼻から煙をふいて吸う。

比島では七、八歳の子どもも平気でたばこを吸っていた。

 

「これ、姉さんある」

 

と早速友達をつれてきて、駄賃としてたばこを請求する。

 

 「姉さん、マガンダダラガか」

と習い覚えた現地語でたずねる(美しい娘かという意)。

 

 子どもは

 

 「おおベリービュティフル」

大げさである。兵隊は惜しげもなく、その子に高級品のピットモントを一箱与えて歓心を買う。

 

 戦地の一年は無我夢中である。二年目はこの反動作用として、激しいホームシックになり、祖国恋しく、夜がなられない。

 

「子どもと妻はいずれが可愛いか」

 

と問うと、大体の日本人は

 

 「子どもが可愛い」

というが、これはウソである。

 

 遠く離れて生死の間にいると、子どもはどうでもよく、妻がひしひしと恋しい。これが男の本音であり、もっと大事にしておけばよかったと後悔する。

 

 妻恋しさの慕情にたえかねて、自らの手足に銃弾をぶちこんで戦傷者となり帰還するという命をかけた芸当をする者さえいる。戦争は男にとって実に残酷である。

 

 三年目から枯渇した人間となる。現地娘とねんごろになり交友したり、慰安所に通うのも殺伐な日々が、人を恋い、愛の欲求不満からおこる現像である。

 

 谷山は現地語も英語も話せないが、駐屯するとすぐ部落の娘と親しくなる。彼の外交術はナゾとして戦友には不思議であった。

 

 東は、北サンフエルナントのエルザという娘と親しくしていた。私はこれらの戦友のために英単語の羅列の恋文をしばしば書いてやった。

 

 東は鉄道の機関士で23歳である。彼は外出すると真先に慰安所に飛びこみ、体内を軽くし、それから六感通訳(感で通訳する)の私と同行してエルザの家に軍の石鹸やたばこをドッサリもって訪れる。椰子酒、小豚の丸焼き、バナナの天ぷらのご馳走になり、娘や家族と楽しい一時を過す。四時には帰営せねばならないのだ。東の恋はかくもはかなく清いものであった。

 

 バタン攻略後のマニラには慰安所が十六あった。

 

日本娘は将校用で、兵隊は出入禁止、現地娘と朝鮮遠征軍が兵隊に対する肉体奉仕者である。その慰安所は大入り満員で、入口で番号札を買い、女の部屋ごとに行列して順番を待っている。

 

 どの兵隊も恥らいなく平然として、満員電車に乗る客のような顔である。

 

 慰安所こそ兵隊にとって地上の天国である。

 

そこだけが階級の差がなく乗客船として平等であり、厳しい掟(おきて)の敬礼を欠礼しても、しいてとがめられない唯一の場所であった。慰安婦は兵隊の救いの女神であり、恋の塵捨て場の役目をした哀しい犠牲者である。

 

 東は戦争末期には本隊から離れて、遊兵となり現地娘をつれて、転々としていたが、最後は現地人に殺されたということである。

 

 かつての軍隊は、日本の若者の価値を一等品、二等品、三等品、それに兵役免除の等外品と格付けする国家機関であった。

 

 兵隊は勇気、度胸、腕力、脚力すぐれ、その上に敬礼の仕方、態度、それに要領のよしあし、なおその上に器用でなくてはならぬ。炊事はむろん上官のシャツ、靴下のせんたく、シャツの破れの繕いまでして上司のご機嫌をとらねば、到底上等兵には進級不可能であり、いつまでも万年一等兵である。

 

 私は、体格は第一乙でニ等品であるが、その他は失格組で万年一等兵も当然であるが、田中は度胸あり敵弾を恐れず、進んで弾雨下の架橋作業におもむき、体力も耐久力もあり、野戦工兵として現役兵に比し遜(そん)色なく働き、召集前はお菓子の職人であったので、羊かんやまんじゅうを作って戦友を喜ばせ大釜の飯をたくコツ、天ぷらもじょうずで炊事当番としても一流で、同年兵の目では第一選抜の上等兵組であるが、どうしたことか進級せず私と同様、万年一等兵であった。

 

 軍隊は正しい秩序の世界であると世間は思っていたが、内容は案外要領のいいのが勝つ世界であった。上は隊長から下は一卒にいたるまで、兵全部が妻や愛児に現地品の靴や純綿品を買い、雑嚢(ざつのう)の底に秘めて転戦していたが、田中は

 

 「俺は戦争にきたのだ。みやげはいらない」

 

と、古武士の如く、極めて淡々と戦争に徹し、戦争の中に生きていた。

 

 彼は、我流の俳句を作り私に見せる。

 

 「君のはうまいがヤミジルの味だ。もっと香りと風味のあるスマシジルにせい」

 

というが、職人の一徹さでクセのある句を作り、自ら悦にいっていた。

 

 いよいよ我が軍の敗色濃く我が一七四八部隊もレイテ戦参加の命令がくだり、マニラに集結し、全員戦死の覚悟である。生きてかえれるかも知れぬという淡い望みがあると死に不安をもつが絶対死と観念すると、一切の夾雑欲が消えて男の心は爽涼となる。不思議な心理である。

 

 この世の名残りにと空爆下のマニラの慰安所に田中と飯盒(はんごう)にめしを一パイつめて通う。そのころ、マニラの町は食料不足で、飲食店は店を閉じ、金はあっても食物が入手困難で、慰安所の女は軍票の金よりめしを喜ぶのである。

 

一つの飯盒めしを、女とあたかも親しい夫婦のように睦まじくつつき合って食う。女は

 

 「兵隊さん親切、日本は敗ける。わたしと一緒に逃げましょう」

 

とまじめな顔でいう。田中と顔を見合わせて苦笑する。この比島娘と山の中に逃げて愛の巣を営なみ生きて恥をさらすより、レイテの花と散るが日本男子の本懐であり、死をきめた心ではあるが、この娼婦の一言は心に迷いを生じ、妙に祖国の妻の顔が美しく胸に浮ぶ。

 

 いきなり田中が

 

 「オイ、帰ろう」

と席を立つ、外に出て

 

 「どうした?」

 

 「急に家内が恋しくなり慰安婦が不潔になったので出た」

と、心の奥の真実を叫ぶ。帰途米国の黒鷹グラマンに襲われ、深い草むらに逃げこむ。息をひそめていると草の香りでムンムンとむせる。執念深いグラマンは三回上空を旋回したが、やがて去る。このとき一句作る。

 

 “グラマンや 暫し退避の 草いきれ