2 『 間接殺人 』

その国では男の子が生まれると親は顔をしかめる。

 

 「ヤレヤレ、二十年後には嫁を買ってやらねばならぬ厄介物が・・・」

 

と心中暗然となる。女児は生後七日たてば売買の対象物となり、美しく育てて嫁として売れば莫大なへい(幣)がはいるので、真赤な餅をついて喜の字を押して親類縁者に配り、その生誕を喜ぶ。かといって女は決して貴重品ではない。ただ高価なのである。

 

 富豪は水煙草を吸い、豪勢な料理で精力を保ち、数人の妻を蓄えて、男の本懐をほしいままにするが、貧者は一人の妻が買えず、一生”やもめ”である。そこで多くの貧者は生まれたての女児を安く買い、養女として育て、自家製の男の子の嫁にするという涙ぐましくも遠大な計画をたてるのである。もし成年になった男の子がその養女をきらえば遠慮なく売るのである。

 

 土地整理委員の彭明火は田畑数町、水牛五頭、妻妾三人をもつ中流資産家である。彼は言っていた。

 

 「他人に労賃を払うより妾の方がよく働いて安くつく」

 

と、男にとってもまさに一石二鳥といえる。彼はこのほかに隠し資産として支那語でいう包(パウ)をもっていた。いわゆるオンリーである。

 

 秀蘭は陳の一号の娘である。私は賓客としてよくその邸に泊っていた(旅館がないので)。

 

 当時台湾の役人は正服正帽で、夏は帽子も服も靴も白一式で、あたかも海軍士官のごとく颯爽としていた。ある夜、秀蘭が、

 

 「手紙を書いて下さい」

 

と真剣な顔で恥かしそうにしている。相手は日本人の小学校の先生ですという。

 

 私はたどたどしく効果的に書いてやる。

 

ところが意外にも意外、数日後わが宿舎にかえると小包がきている。開いてみると美しい刺繍のテーブル掛けと私が書いた文そのままを写した秀蘭の恋文である。まったく驚いて自分自身にあわてるとともに、自分の間抜けさにあきれはてて、いまさらのように秀蘭の美しい瞳の輝きと、刺繍していたいじらしい姿が目に浮かぶ、若い心にジーンと響いた。

 

 私は返事は出さなかった。実をいうとカフェー遊びがいそがしかったのである。

 

たなばた(七夕)をすぎて媽祖廟のお祭りの夜、姫君の招待をうけ酔眼モウロウとして宿舎にかえると、誰れか蒲団をしいてねている。奇異に思い、そばによると女である。

 

 頭髪にさしたクチナシの花がプーンとにおい、一五歳の秀蘭がすやすやとあどけない顔でねている。僕はまったく当惑し頭の酔いがスーとぬけて冷静となる。唇にもふれず、しずかに起こして、車で南門街の親戚の家まで送って行く。

 

せっかく玉を抱いてみすみす取り逃がしたが、その玉を抱いておれば、私の人生航路は安全でなかったであろうと思い、悔いはなく、極めてさわやかであるが、かつての日本同胞も、いまは国籍を異にして、秀蘭も異邦人となり、遠く遠く相離れたので、せめて口づけでもしておけばよかったという不逞な気がないでもない。

 

 「昼は官員様夜は歓楽街の王者」---これがありし日の台湾の官吏の生態である。

 

 椰子の葉かげに太陽が没すると、眠り木は静かに葉を閉じて眠りにつく。夕べとなり電灯が輝くと、若者はにわかに元気になり、凋んだ花が開くように生き生きしてくる。若者の生態はげに神秘である。シャワーを浴び和服を召して、颯爽と紅灯緑酒の巷に君臨し、夜の王者となる。

 

 「オーさん」

 

 「ターさん」

 

と甘い声で料亭の美妓、カフェーの女王に迎えられて、ビールのセンをポンと音をたててぬき、のむほどに、酔うほどに客も女も歌い踊り、夜のふけるのを知らないのである。

 

 昭和の「御大典」の大祭気分が、いつまでもぬけず、東京音頭、大阪音頭を蛮声をはりあげて歌い踊り、はては他の酔客と喧嘩をするという乱痴気騒ぎである。どの料亭、バーでも顔のきく天下ご免のオーさん、ターさんであり、傍若無人の夜の王者である。

 

 参議院の塩見さんは青年官吏の最高峰で、白晢美男の夜の貴公子であった。

 

 連続連夜午前一時、二時まで騒ぎ、だれかが無欠勤で、しかも午前様の筆頭はだれであるかと意識して放蕩競争をするのだから、まさに狂気のさたである。

 

 北村は出勤簿をバーにおいていた。

 

 井上は深夜の街を野象のごとく咆哮する酒癖あり、Kらは店の看板をはずして他店のとする替えておき、翌朝店の者が驚くのを喜ぶという困った作業をしていた。そして、独身官舎にかえると一室々々窓をたたき硝子を破って、オレ様はただ今ご帰館という示威をするのだから、心安らかに寝てなどいられないのである。

 

 寮長の西川先輩は酔うと白刃をかざして暴れ狂うのである。

 

 山田は深夜にリョウリョウと進軍ラッパを吹いて街中の安眠を破る。有難いことには、この無軌道の若者に対して街の人は寛容である。植民地は陽気で、おおらかで若者の天下である。

 

 花ちゃんは内地直輸入品で八重歯が可愛く白いエプロンのよく似合う女給である。

 

 「オーさん、いい人見つけてよ」

 

という。

 

 「よし」

 

と軽く引き受けて、いま四国の某税務署長であるNと二人で、杉井君を

 

「おごってやるから」

 

と連れていく。

 

 「わたし杉井さん好きよ。手紙書いて頂戴」

 

とラブレターの依頼をうける。

 

 一杯機嫌の私とNは女給らしい真実のこもったレターを共同作文する。

 

この恋文は効果テキ面、純情の杉井君の心を動かし、二人は親しい仲となる。

 

ある夜、

 

 中年の酔客が不意に花ちゃんの和服の裾をまくりあげたところ意外にもノ-ズロースである。

 

 花ちゃんはキャーッと叫ぶ。

 

 客は一せいに見てならぬものを見て歓声をあげる。

 

 花ちゃんはシクシク泣いていたが、これが常連の噂となる。

 

こんなことから花子と杉井君との間が冷たくなり、

 杉井君は突然退職して内地へ帰る。

 

 花ちゃんは失恋し、酒に酔いて泣いていたが、むし暑い八月のある夜、泥酔し、

 公園の榕樹(注=熱帯にできる常緑の喬木)の下で服毒自殺した。

 

 私はそのとき遠く南方の方へ転勤していたが、

その死を聞いてガク然とし、

ラブレターを代書して恋を成立させたが、結果的には花ちゃんの死因は私の責任であると思い

 いまもすまない気持ちで一パイである。