12 『 私の回顧録 』
戦後、中国五県のやくざの親分は、西は下関の○○、東は児島の○○○こと、○○と広島の○○○の○○である。
○○の初代は、下関と九州博多に多く輩下をもち、博徒の大親分であるが。
二代目は、丹下左膳のごとく、左頬に長い刀傷のあとが流れていた。一見、凄味があるが度胸はなく、私が税金を取立に行くと、殊さらに不在といい、私を避け、一度は三時間も私を応接室に待たせたことがある。
広島東署の若い署員が、百米道路から福屋に通ずる道路で、出前を運ぶ若い男をはねる、頭に二週間の打撲傷をうけ、入院する。若い男は○○○の従業員である。
これは、相手が悪く、大変だと、案んじつつ、若い署員と陳謝にいくと、
○○親分は、
「交通事故は、お互いさまです」と寛容である。
○○○の大親分だから、人相が悪いと想像し、恐る恐る行くが、色白の優男で歌舞伎の役者に似た美男であるのに驚く。これが、ピストル乱射の総元締めの○○○の会長とはおもえない。
「○○○を解消し、広島を平和で住み易いところにして下さいよ」
と、私は憶せずいう。
「私は、いま会長は辞任しているが、組員を見捨ることは出きず、小使いをやるので組員と縁が切れないのです」
と、やくざ仁義の苦しみをいう、人間味のある親分で、世間や新聞が叩くほどの悪人ではなく、むしろ好紳士である。
しかし私のためには十人や二十人は死んで呉れるでしょうと、いうには少なからず恐怖を感ずる。
児島の○○○こと○○は、終戦後密輸入し、自治警察に捕まるや、組員に留置場に火をつけさして逃げたという悪人であるが、私が会った頃は市会議長である。
「税務署の雑魚か、かえれ」
と、若い署員は追いかえされる。
私はあることで、彼を知っているので○宅にいく。
「あんたか、あがれ」
「イヤ、税金を納めんと、あがらん」
「そういわず、あがれ、納めるよ」
奥の座敷にドカンと腰をおとし、あぐらで坐る、キチンと正座するのが礼ではあるが、やくざには、やくざにならないと、対等の勝負は出来ない。
色白い女中らしい若い女がビールをもってくる。
「呑め」
「イヤ、呑まん」
「呑まんと、税金は納めん」
「オ前も、呑め」
と、女にいう、私は公務中に納税者の酒を呑むのは、よろしからぬとおもうが、相手が悪いからと観念する。
「俺の指輪と女房の指輪は、同形で純金だ」
と、女と○○は私の目の前に二人の指を出す、そのとき女は○だと知るが、年齢は三十以上差がある。
そのとき玄関に人声があり女は出ていき、
「○○が、西瓜を荷車一杯もってきました」
「もらっておけ」
と、親分は応揚である。その西瓜を食っていると、坊主頭の若者がくる。
「親分、只今出獄しました」
「ご苦労、オイこれに五万円やれ」
「姐御、ありがとうござんす」
と、青い坊主頭の若者は、平くもの様になり、若い女に頭を下げる。
目の前に、映画のやくざの場面が演出され、私も一方の親分として、その画中にいるごとき錯覚をおぼえる。
「税金二十万出せ」
「今日は五万円やったから、五万円だ:
「ナニ、広島からきて、そんな端した金はいらんよ、あしたくる」
と、○宅を辞し、宿にかえると、別行動の徴収官が、
「今日はやくざ二人に日本刀をふりまわされ、一軒も差押し得なかった」
と、無念相にいう。その夜、彼は心臓病をおこし急死するが、側にねた私も同行の若い者も知らず、翌朝、死を知り大あわてし、悲しみに泣く!
(2)
いつか、この誌上で、民商の発祥地は松江だ、と書いたら、ある先輩は「そうとは思わない」と反論される。
たしかに戦後の広島における主体は、段原大畑町に本拠を置く広島商工企業組合(専務理事長○○○○氏)で、三次、可部、海田、西条に支部があり、組合員数100人、事業所400ヶ所をもち、25年10月に法人登記をなす。これに対し局および署員は警察官の応援を得て、市内の各営業所を調査した。
先方はこれに対し、人集め作戦と野次戦術をもって「不当調査だ」と、気勢をあげるが、証拠書類を押収し、公務執行妨害で逮捕される者も出た。
その後にして八丁堀の路地裏に「民主商工会」の看板をかかげ、「民商に加入すれば、税金が安くなる」と皆に宣伝し、勢力の拡張を企図す。
この人は現広島市議会議員の○○氏である。○○氏はシベリア抑留生活で洗脳され、共産党員となり、松江民商に数年いて、広島入りをし、今日の地盤を築く、山陽路における民商の起爆地は、広島の民商であることは否定出来得ず、さらば、民商の本家は、松江だと、推論する所存である。
民商の所得調査には直税職員は困った、臨場すると、帳簿は本部にあると電話す。すると忽ち多勢の組合員が、押寄せ、「税務調査は不当だ」と妨害する。
これは彼等の全国的な作戦で、名古屋では東税務署に、民商会員70人が、調査は不当だと叫び、机、椅子のバリケードを突破し、署内に乱入したとのこと。
私も岩国署時代に、共産党員の時計屋を押えると「違法差押えだ」と、共産党員数十名が押寄せたので、「退去命令」を出すや、彼等は突撃と叫び、カウンターを乗越えて乱入す。
このことを予期し、警察官の応援をもとめ、庭に待機していてこれを防ぐ、後日、若者一人を不法侵入在で告訴する。岡山県の民商の滞納処分でも苦労する。故人の○○○○君(当時岡山署徴収課長)と三人で清輝橋の呉服商の差押えに行くと、組合員がぞくぞく集り、そのかず数十人に及び、それに野次馬の群集百余人が店頭を埋め、こうなると意地でも目的を達成せねばという勇猛心が湧き、延々三時間も彼等と論戦したのち現金を差押う。○○君こそ生粋の徴収人にして、口は悪いが気に満ち、その功績は大きく、戦後の税金史を飾る一人である。