2 『 税務署は白昼強盗 』

 戦後の税務署は現在の五倍も六倍も人員がいた。しかし大蔵事務官と名のつく者は署長以下数名で、あとは新参の少数の年配者と若者である。

 利の気いた税務職員は退職して、闇商人になる時代だから、賢しこくて智慧のある者は、人が憎む税務署員にはならない。

 

 税務署では、ソロバンがいのちであるが、入署した若者は少年兵あがりか、軍需工場で働いていたものばかりだから、ソロバンは勿論出来ず、簡単な手紙でも満足に書けなかった。

 

 毎日毎日、納税者から苦情の手紙が、数十通くる。これは招かぬ客であるが、本人の代理であるから、内容の複雑なものは私が誠意をこめて返信を書く。

 

 簡単なものは、若者にまかす。ところがその返事が奇想天外である。

 

 ハガキの真中に、ただ一行、

 

 『それは第三期分です』

 

と、たった九文字しか書いてない。

 

 納税者の方は、「一期分も二期分も三期分も納めた筈ですから、よく調べて御返事下さい」と、時候の挨拶も書いて丁寧なのに対し、若い署員は、闇から棒をつき出したように、たった九字のこの返事には、流石の私もあいた口が塞からず、思わず呵々大笑いして、

 

『君、これ古今傑作だよ』と、嘆息した。

 

 しかるに、差押になると若者は、勇躍としてトラックに乗り、滞納者宅を襲い、靴をはいた土足のままで座敷にあがり、家財道具一切を差押える。

 

 老婆が一人留守居をし、

 

『息子がいないので税金のことはわからないから後日にしてくれ』

 

と、泣いて懇願するが、

 

『税を滞納するものは国賊だ』

 

と、おいすがる老婆を押しつけて仏壇を除いたタンス、着物類をトラックに満載して意気揚揚とかえってきて、

 

「今日は大成果だ、呑みましょう」と、強要する。当時酒は配給制だが、配給の実権を税務署が握っていたから、夜は若者の労苦をねぎらい、私の家で妻や幼い子供らが接待さして呑む。

 

 心中に、これは山賊の酒宴であり、その頭目は「私だわい」と、苦笑しつつ呑む。

 

 ある闇屋の埋蔵物資と家財を差押えすると、河内町の公民館に一杯あり、現在三原で税理士開業の山本君が、この処分にあたり。

 

「サアーサアー、差押品の大廉売だ」

 

「買った、買った」

 

と、まるでバナナ売りのごとく売り、二日で大量の差押の軍服や毛布類を売り捌いた。

 

 ときには税務署の徴収簿のミスから税金を納めていたのに、これを十分調査せず、家財道具、畳、寝具を差押えて引揚げると云う暴挙もした。

 

 この税務署の非人間的な横暴に対し、町の辻々に「税務署は白昼強盗」という貼紙をデカデカとするが、

 

 差押トラックは日々町を襲い村落を襲い、島の満納処分は、とくにデモンストレーションをし、昔でいう千石舟に、その船腹に、「差押物件引揚船」と、大きな横断幕を張りてエンジンの音高く島を襲うと、「海賊船」がきたと、島人は恐怖し、隣近所から金を借り納める。

 

 だが、豊島の漁民は暴れん坊で、巡査を海に投げこむという無法地帯には、税務署の若い者も、さわらぬ神にたたりなしと、放任しておくと、米将校がきて喧しくいう、私は冗談に、

 

海防艦を借せ、それで乗りこむ」というと、OKという。

 

 翌日、呉のGHQの本部に赴き、約束の軍艦を借りにきたというや、

 

「馬鹿者め、日本のことは、オ前等がやれ」と、一喝を喰う、今まで張りきっていた己れを反省するとともに、いまにみろ、日本を再建して、オ前どもを、やっつけてやるという敵愾心に燃ゆ。