5 『 出雲は税務署天国 』

 ときならぬときに出雲署に転勤の辞令がくる。

 栄転、左遷、横すべりという、毀誉ほうべんの気持はなく。

 

 ”ウン、これはいい”

 

と心中で喜ぶ。

 

 岩国は米空軍の重要な基地となり、米軍将兵のドルをねらって、バーや進駐軍兵士を相手の売春のオンリーが、東京、大阪から流れこんだため住宅難となり、妻子を忠海に残し、単身赴任しての二重生活をしている私には朗報である。

 

 終戦時の税務署員は薄給で、その頃新聞の炭鉱夫募集の広告に、一日千円とあったが、私の月給はをれを僅かに上廻る程度であった。

 

 当時の古い日記帳を見ると、越年資金という名目で、千二百円貰っている。

 

 これは餅代で、苦しいだろうが、餅でも搗いて正月を迎えようという政府の涙金である。 

 

 税務署の構内にある宿直室に寝泊りし、三食は刑務所に差入れする食堂で食い、朝食は囚人用の、麦の冷飯しに茶かゆをかけた丼一つと、たくあんが三切れである。

 

 戦場では食うものがなくなり、草や木の根を食って生きのびた私にはむしろ美食であり、妻子を養うためには、男がその犠牲にならねばという悲壮心をもっていたので極貧の暮らしに耐えた。

 

 出雲は妻の出身地であり、妻の同窓生の今市高女(現在の出雲高校)の出身者は、酒造家や市会議員の妻になっているので、妻も喜び、勇躍赴任する。簸川の近くの民家を借りて住む。忠海でも岩国でも”税務署の奴”と言われ、肩身せまく暮らしていたのに、ここでは”税務署の旦那”といい尊敬する。

 

 宿の隣組の常会にいき、片隅にいると、

 

 『税務署の旦那はん、ご意見はありませんか』

 

と、下座にいる私を無理に上座に坐らせて、意見をもとめる。

 

 広島、沿岸部では、

 

 「オ前ラ、デイムショカ、町をうろうろせず、早く退散せよ」

 

と、まるで罪人扱いであったのが、出雲の国では『旦那さん』であるから悪い気持はしない。

 

 もっとも、裏はあり、税務署員が調査に行っていて、買物客がくると、店の人が、

 

 『いま、お客さんです』

 

と、言えば買物客は『ハア、税務署員だ』と、この客さんの隠語に気づき、買物せず、さり気なくかえって行く。

 

  『旦那さん』と、言われ、米のめしが腹一杯食えるところは、終戦時の日本にはどこもないから、税務署員には、出雲はまさに地上の天国である。

 

 忠海にいたときも、岩国でも、毎月十数通の投書が舞いこみ”闇をして儲けている”『部屋を密かに借している』という投書が、荒々しい文句できていたが、出雲では『そもそも、わが国は瑞穂の国にして、農を尊ぶ、しかるに○○某は、菜・大根の種を闇をしている、税務署は直ちに調査し、これに神罰を加えよ』

 

とある。

 

 神主が神前にて朗ずるのりとに似ていて厳かに襟を正して読まざるを得ない投書で、流石に神国であると、測々とおもい感動する。

 

 出雲大社の境内には、神在月には全国から集る諸々の神様の宿泊所があり、また罪を汚した神様を入れる牢獄もあり、その牢獄には年中鍵がしてある。また出雲大社には神様に捧げる御酒を四斗に二本だけ作ってもよいことを税務署から認可されている。これは全国的に珍しい。ともかく出雲は税務署員の天国で夢と詩にあふれていた。