3 『 ムシロ旗の先頭は税務署員 』

 一介の税吏として17年勤める、第一線の税務署を7署と、国税局に7年いたが、その中で岩国の一年は烈しい反税闘争が全管内に起り、署には、ムシロ旗を立てて押しかけ、署長が町村役場に行くと村民が、署長を役場の庭に呼び出し、土下座して謝れと強要し、署員が調査に行くと村民が大勢で囲んで、吊し上げにするということが、たびたび起きる。

 

 税務署としてはこの反税闘争に敗けておれず、敢然と対抗せねばならぬので、いろいろと辛苦惨憺したので、その思い出が、今も生々しく残っている。

 

 赴任して、内務事務が乱脈で、納税者が泣いて納めた税金の領収書が、未整理のまま倉庫の中に山積しているのに驚く、これは、商人が売掛台帳の整理をしていないのに等しく、未納者に対する処置が出来ない、これはアルバイトを数人雇い、三ヶ月かかり大体整理したが、若い署員はこの盲点を知り、税金徴収のとき正式の領収書をわざと使用せず、自分の名刺の裏に仮領収書と書いて、納税者に渡し、その税金をねこばばする者がいた。

 

 ある製紙会社が、物品税百万円(今なら数千万円)を納付する、これは正式の領収書を渡していたが、この金で税務署の独身寮を買うのに一時立替えている。

 

 これには私も困り果て、思案の末に、署員の川上(共産党員)が、これを知っているらしい、もし世間に知れると一大事だと、国税局に嘘を言って、国税局をおどし、国税局から百万円をとり、これを会社が納めたとして国庫に納めた。

 

 この川上君は、わが国最初の経済学博士で、かの有名な貧乏物語の著者の川上筆京大教授の甥である。

 

 占領軍の米将校は毎週きて、税の取立が手ぬるいと督戦することや、所得税の水増し課税の打合わせをしていることを知り、これを外部反税団体に通報する始末の悪い存在だ。

 

 そのころ、こんにゃくが急騰し、これに対し、ロクに調査もせず、一率に三割増し課税をする。

 

 これを知った共産党は、山地の農民を煽動し、ムシロ旗を押し立てて、その数二百余人が、昔の農民一揆のごとく税務署に隊伍堂々押しかける。

 

 その先頭のムシロ旗手は署員の川上君である。彼はいつも前日に休暇届を出して暴動に参加する。

 

 『署長よ出てこい』と署を取り囲んで叫ぶ、錦帯橋に農民が続々集っているという知らせが、警察署長からあるので、『署長は逃げていて下さい』と頼み、若い署長は出張命令を出し、全部追い払い、女子職員だけを残し、あとは私一人が引受ける。

 

 先頭の川上は、平常は真面目で勤勉で純情な青年であるので、私と心情的に一脈相通ずるものがあり、敢然と一人で応戦する私に敬意を表してか黙っている。

 

 共産党の大幹部で岩国の市会議員である皿田が、不当課税だと叫び、

 

 『税金は今すぐ返せ』

 

と、集った群衆は、ワイワイ騒ぐ。

 

 玄関先に一人つっ立っている私は、唖のごとく無言でいる。

 

 『お前はツンボか、オシか』

 

と。ワイワイいうが、二十分ほど黙っていると、群集はあきれはて、静かになったそのとき、私は大声をあげて、

 

 『わかりました、税金はいま直ちにお返ししましょう、領収書をお出しください』

 

と返答する。

 

 税務署の金庫には一文もないが、200対1では争論しても勝目がなく、また税に文句をいう連中は、大体まともに税を納めない者が多いと知っていたから、一か八かの決戦に出た。

 

 誰一人として納税をしている者はいないから、虚をつかれ、一人二人とすごすごと皆退散した。

 

 あるときは群集に取り囲まれて、こづきまわされて、私の背広の袖をまがれたというひどい目にあう。

 

 小松原税理士(当時二係長)は18回も吊し上げられ、お前は米資本主義の犬だ、と二時間も責められた。