7 『 署長の恋 』

 お上は非情にして、天国出雲には私を一年しかおかず、津山へ行けというもとより浮草稼業は覚悟しているが、一片の辞令で、毎年毎年の転勤命令には、心中不服におもうが、日本の税務署の子飼いでなく、戦後入署の引揚者だから、虐待されるも止むを得ぬと、自分にいいきかす。

 生来楽天家の妻は『とうちゃんは、田舎廻りの旅役者だね、でも官費の長旅だと思いましょうね』という。

 

 引越しは、フトンと、柳行李二個、それに鍋釜茶碗と子供の本しかないから、簡単だが、犠牲者は三人の子供達で毎年毎年の夏休みに転校し、そのころ県毎に教科書が異なり、転校先に余備の教科書がなかったので、級友の本を借りて勉強せなければならなかった。

 

 山陰線の米子で伯備線に乗換る、新見で下車し、広島から津山に行く列車を、三時間も待って乗り、朝八時出雲駅を立って、夕方六時頃に津山駅に着いた。

 

 翌日、津山署に着任すると署長が君の片腕に期待する。出雲のように津山を全国第一の署にしてくれ、という。

 

 戦前は、酒税が税の王座だったから、間税出身者が大事にされて、署長職につき、戦後は所得税が重視され、直税出が多く署長になるが、津山所長(とくに名は承す)は、庶務出身だが、特に抜てきされ、岡山県十三署中(いまは十二署)の三位の津山署長になる。

 

 見るからに精力的にして仕事熱心には、頭が下るが、苦手の直税面の決裁には、文句の一言もなく判を押すが、こと徴収面となると、喧しい、それはそれでいいのであるが、なんでも、かんでも自分がやらなくては、おさまらないらしく、一係員の仕事を署長がする。

 

 徴収の係長、次長、総務課長の私は、仕事を分取られて、することなく、私は、毎日新聞ばかり読む、すると、署長は”総務課長は月給盗棒だ”という、前任者橋本君は私より心臓が強く、机の上に足をあげて新聞を毎日読んでいて、月給盗棒といわれる。

 

 徴収次長の平田君(いま税理士)は、市内のある果物屋が、税を納めないので係員を同行し、差押にいく、すると美人の女主人は、金庫をかかえて裏口から逃げんとする。裏口に待ちかまえていた平田次長は、その金庫を取上げて中の現金を差押し、もってかえる。

 

 女主人が、泣いて署長に歎願すると、署長は”その金を返せ”という、それは、私が命じたので、私が責任を負うが、金はかえせないと、署長の言を否定する。

 

 ときならぬときに、岡山県下のブロック署長会議があり、私は署長は出席したものと思っていたが、その日、突然に電話がかかり、署長はどこに行ったかと、私にいう。おどろいた私は、あっち、こっちに電話して、署長の所在を探すが、署長は行方不明である。

 

 愛人が肺病で、特効薬のパスを津山駅の隣の小駅から、ひそかに送っていることを職員から聞いて知っていたが、署長会議に出ず、中国山脈をこえてその女に会いに行っているとは、おもわなかった。

 

 数日後、国税局から、えらい方が見えて、”総務課長は署長を補佐するのは任務だ、お前は、署長を監督してないから始末書を書け”という、私は書きようがないというと、こう書けという。

 

 ”署長の行状を黙認し補佐監督を怠って、誠に申訳なくその責任を負います。広島国税局松田文蔵殿”

 

 阿呆らしいが、国税局から命令を帯びてきた、そのえら方の立場をおもい、仕方なくその一札を書く。

 

 翌日、国税局から特使がきて”昨日、署長がどこに行ったか言え”「知りません」

 

 山陰の温泉地に、署長は愛人がいて、病弱で肺の特効薬のパスを、ひそかに送っている。多分女を見舞いに行っているのだろうと思うが、そんなことは口がさけても言えない。

 

 「知らんことはない」

 

 「知りません」

 

 と、一日中頑張る。

 

 『オ前は強情な奴だ』

 

その特使はカンカンに怒る。

 

 「オ前も始末書をかけ」

 

という、私は書く理由がないから、突張るが、特使の立場を考えて、やむなく一札を書く。

 

 『署長の行状を部下の私が補佐監督せず、誠に申訳がありません。いかなる罰もうけます。広島国税局 松田文蔵殿』と。