退職署長懺悔録

1 『 税務署を焼打ちにする 』

そのころ、私の机の上には、毎日毎日税の不平、不満、呪詛、はたは恐迫の手紙が殺到し、山のようになる。 フィリッピンの戦場の砲弾下に六年もいて、悪運強く九死に一生を得て帰還したが、闇屋となることを潔よしとせず、ふるさとの島で半年ほどぶらぶらして…

2 『 税務署は白昼強盗 』

戦後の税務署は現在の五倍も六倍も人員がいた。しかし大蔵事務官と名のつく者は署長以下数名で、あとは新参の少数の年配者と若者である。 利の気いた税務職員は退職して、闇商人になる時代だから、賢しこくて智慧のある者は、人が憎む税務署員にはならない。…

3 『 ムシロ旗の先頭は税務署員 』

一介の税吏として17年勤める、第一線の税務署を7署と、国税局に7年いたが、その中で岩国の一年は烈しい反税闘争が全管内に起り、署には、ムシロ旗を立てて押しかけ、署長が町村役場に行くと村民が、署長を役場の庭に呼び出し、土下座して謝れと強要し、…

4 『 女を利用飛行機納税宣伝 』

世界広しといえども、飛行機を一税吏が納税宣伝に利用したの、恐らく私一人であろう。 しかも占領下において、米戦闘機を日本酒二合瓶十二本で。 国税庁初代長官高橋さんは広島国税局から一躍抜てきされて、就任するや、戦後頽廃した納税思想の回復すること…

5 『 出雲は税務署天国 』

ときならぬときに出雲署に転勤の辞令がくる。 栄転、左遷、横すべりという、毀誉ほうべんの気持はなく。 ”ウン、これはいい” と心中で喜ぶ。 岩国は米空軍の重要な基地となり、米軍将兵のドルをねらって、バーや進駐軍兵士を相手の売春のオンリーが、東京、…

6  『 銭三千枚税務署中ばらまく 』

山陰は、晩秋から翌年春までは、曇天の日が続き、雨多く、雪の日もあり、山陽から移り住むと、頭から黒布をかぶされているようで重い気持だが、住みなれてみると、米、野菜、魚とおおく、サバは最盛期は、とれすぎて、さばききれず、トラックに満載してき百…

7 『 署長の恋 』

お上は非情にして、天国出雲には私を一年しかおかず、津山へ行けというもとより浮草稼業は覚悟しているが、一片の辞令で、毎年毎年の転勤命令には、心中不服におもうが、日本の税務署の子飼いでなく、戦後入署の引揚者だから、虐待されるも止むを得ぬと、自…

8 『 納税者慰安の夕べ 』

納税署長だから愛人をつくってはならないという法律はなく、女の一人や二人はいてもいいとおもうが、署長会議をど忘れするは論外というよりほかはなく、しかも、その会議は税務署の中の共産党のシンパを追放する大事な会議で、その該当者が津山署にいた。 そ…

9 『 税金取り新撰組の隊長 』

野暮で、わがままな私のどこが気に入ったか、「国税局の税金取りの隊長になってくれ」と、たびたび誘いがかかる。 野人を自認している私は、野におけ、蓮華草で、国税局はその都度断る。 だが、強行に辞令を発し、津山署も一年にして国税局に入る。 強気には…

10 『 天皇降臨の工場を差押う 』

私の座右の銘は ・失意泰然、得意冷然 もう一つは明治天皇の御製 ・さし昇る朝日のごとくさわやかに もたまほしきはこころなりけり 男の人生街道は栄華盛衰は常にして、私のごとく、毎年毎年一年毎に転勤させられ、その度に左遷だ、横すべりだと、ひがみ、お…

11 『 美男税吏と人妻 』

対岸は 梅の寺なり 造船所 この句は、昔の月刊誌ホトトギスに載っていたが、作者は虚子の高弟であったとおもう。 春の尾道を訪れ狭い海峡の浜の景色をよく詠んでいる。 瀬戸内海の春は波も穏やかに、島々はおぼろな霞の中に眠るごとく、桃の花が咲き一幅の絵…

12 『 私の回顧録 』

戦後、中国五県のやくざの親分は、西は下関の○○、東は児島の○○○こと、○○と広島の○○○の○○である。 ○○の初代は、下関と九州博多に多く輩下をもち、博徒の大親分であるが。 二代目は、丹下左膳のごとく、左頬に長い刀傷のあとが流れていた。一見、凄味があるが…

13 『 不死身の滞納者 』

昨年の春、男と離別し、一人娘と暮す女が、近所にささやかなパン屋を開き、青色申告を教えてくれと、訪ねてき「税金は怖い、終戦のころ一家心中をし、女中と犬までも共に死ぬ」という 「それは事実か」と、私は心中驚天し、ききただす。 戦後の徴税攻勢に重…

14 『 手文庫の中は 』

終戦後に、脱税を密告下された方には、一割の報奨金を差しあげます、というおもしろい制度があった。 その頃、なお戦時中の物価統制令という法律が生きていて、米、塩の食料品などと、衣類、鉄・木材の主要必需品は、従前のままの価格で押えられていたが、 …

15 『 税吏天下に名を売る 』

一介の税吏のなれの果ての私ではあるが、過ぎにし日に一つの輝かしい金字塔をもつ私である。 もし、日本が大東亜戦争に勝っていたら「俳句の兵隊さん」といわれ、全国各地の婦人会や在郷軍人会は、争って私を歓迎し、グァム島の密林に18年間潜んでいた横井…