9 『 税金取り新撰組の隊長 』

 野暮で、わがままな私のどこが気に入ったか、「国税局の税金取りの隊長になってくれ」と、たびたび誘いがかかる。

 野人を自認している私は、野におけ、蓮華草で、国税局はその都度断る。

 

 だが、強行に辞令を発し、津山署も一年にして国税局に入る。

 

 強気には強き、弱き者には弱い私は、弱ものいじめの滞納処分は不本意にて、忠海署(いまの竹原署)、岩国署、出雲署時代も、極力自分の差押えは避け、退避するが、若い職員は、苦手のところには身の危険を避けて、行かない。

 

 本郷町(忠海管内)は共産党が強く、若い職員は、滞納処分に行かない。

 

 余儀なく、いま三原市で、結婚センターをしている山路君を連れて行き、目抜きの商店街を、一軒一軒とたづね、「いま、すぐ税金を納めて下さい」と、頼むが、うしろに共産党という強みが、あってか、誰一人納めない。

 

 「オイ、山路君。、俺はやるぞ」という、目に見えぬ共産党に反発するという反逆心が湧き、片端しから差押えし、一時間余にして、十八軒の滞納者のタンス、家具を差押えする。

 

 こんあところに長居は無用と、おもての駅に馳けつけると、共産党員と、差押えた商人等数十人が私を追ってくる。切符も買わず、折りよくきた列車に飛び乗り、心中アバよ、とさけび署に帰る。

 

 岩国では、若いものと玖珂町にいき差押えすると、老婆が、デバボウチョウをかかげて追ってくるが、それを逃げて、駅に行くと、七、八人の町の若い者がいて、

 

「責任者のオ前はかえせん」と、私を取囲み、ついてこいというからついて行き、駅の倉庫裏に行き、私は殴ぐられるかと観念するが、

 

「課長さん、よろしく頼みます。あなたの名刺を下さい」

 

と、意外な彼らの態度に、私はあきれかえる。

 

   徴収官の歌

 

  ・はかなくもわが名はかなし徴収官、日日にはげしき性質となりつつ

 

  ・うきことに対抗えば勇気凛々と湧きいづるなりかなしといわん

 

  ・この道の荊なれどもわれいかむ税の権鬼といわれてもよし

 

  ・税鬼だと嗤い給うな詩もつくり畑も作れば妻も愛すよ

 

  ・さればて命短きわがいのち人にいとわれ悲しからずや

 

 最っとも深刻に私がやられたのは、忠海署時代、差押船で、生れ故郷の島に行き、島に一つしかない劇場(幼いとき活動写真や芝居の好きな私は、木戸銭=当時子供は二銭=を払わず、しのびこんだ)を差押え、

 

「納税は自主的に払うものだから、家具を積んだ荷車はあなたが、引きなさい。私はあと押する」

 

といい、差押船まで運ぶ道中に、

 

「あなたは古い家柄の高松家のお孫さんではないのですか」

 

と、いいえというが、私の正体を見破ぶる。

 

「良民を差押えして苦しめるのは、先祖に申し訳ない」

 

と、そのとき税吏の悲哀を、しみじみと、知る。

 

 その私が、中国五県の滞納者を取締り、税金を取立てする役目の隊長になるのは、悲しいことではあるが、官命には逆い難く、その任につく。

 

 私が統轄する職員は、国税局に三十人、各署に分駐するものが、二十人いる。皆、全管各署からあつめた税金取立のベテランと、国家試験による採用の大学出の優秀な猛者にして、自ら昭和の新撰組と、自負する一騎当千のつわものどもである。

 

 私はその隊長格の近藤勇という勇ましい役目である。

 

 まず、手はじめに、広島市で有名な羽田別荘の財産税の滞納取立にかかる。女主人は若く色白く豊満で、戦後の洋服婦人のトップレディで、お乳が見えるほどに、白い胸を表わし、悩ましく、私と応待し、待ってくれと、媚をこめていう、

 

「イヤ、瀬戸内海に浮ぶ絵の島を処分する」

 

と、強硬に出ると、彼女は絵の島を金四十万円(いまは数億円)で売り税金を納める。

 

 後日、加茂鶴が、人生劇場の作者の尾崎士郎先生の未亡人を松茸狩に招待し、私と妻は、尾崎先生との因縁で招待を受け、八本松の松茸狩にいくと、彼女もきていて、私に

 

「あなたは、むごい人だ」

 

といわれ、恐縮する。