10 『 天皇降臨の工場を差押う 』
私の座右の銘は
・失意泰然、得意冷然
もう一つは明治天皇の御製
・さし昇る朝日のごとくさわやかに
もたまほしきはこころなりけり
男の人生街道は栄華盛衰は常にして、私のごとく、毎年毎年一年毎に転勤させられ、その度に左遷だ、横すべりだと、ひがみ、お上を恨んでいたは、わが身がもたない。
判任六級の青年官吏として威張ったのが、赤紙の応召命令がくれば、星一つの新兵となり、戦場で人夫となり、一工兵として土方で働き、五年間も弾雨下にいれば、糞度胸がつき、図太い人間になったのは、私の罪ではあるまい。
だから、混乱した戦後の税務署の第一線においても、冷然として事に処し、泰然として、反税闘争に、わが身をゆだねる。
が、心は常にさわやかに心掛け、強い共産党員にも、弱い納税者にも優しく接する、脱税は悪であるから断固処分し、滞納は善ではないから処分する。
もっと深く言えば法は平等にして、税の秩序を破壊せんとする者は、これを弾圧し、滞納者を放置するは、真面目な納税者にすまないから差押せねばならない。
世間は私達税吏を鬼というが、私はそうはおもわず、税吏は税法を守る番人にして、その責任が重大であるという強い責任感と強い正義感をもってないと、税務署には、馬鹿らしくて勤められない。
戦後、天皇陛下が福山市に御巡幸のとき、一個人会社を視察される。
山口製作所といい、製縄機を作る会社で、社長山口一王氏で事業家というより発明家である。
能率のいい縄網み機械を発明し、この機械は全国各地のとくに東北地方の農家が、田畝に腐らす藁を縄として、東京、大阪に売り儲ける。その頃、縄は建築資材の一部であり飛ぶように売れた。
廃墟と化した都市の再建は木造家屋であったから、縄が必要であったが、いまは、その縄の一本も見ることが出来ず、今昔のおもいがする。
その縄の製縄機の発明により全国の農家をうるおした山口さんは、地方産業発展に貢献し、緑受表彰をうける。
広島県知事は、陛下の巡行の行程の中に山口製作所を入れ、山口社長は、自分の工場で、畏くも陛下に拝謁する。
わたくしなど国税徴収官の任務は全管五十一署の徴収困難な百万円以上の滞納者を整理するを目的とし、当時広島国税局管内の滞納総額は十億円あったが、その大半をわらわれが担当していた。
本編の山口製作所はある投書により多額の脱税が発見し数百万円を滞納する。同行の○○君(現○○署)は、天皇陛下も糞もあるかと、勇猛心を抱き山口社長に強硬だが。
私は陛下御臨幸の写真が社長室にかかり、産業功労者の山口社長に敬愛の念をなきを得ない。
山口さんは普通の民家に住み、ひどい喘息に苦しみ、発明に余念がない「国家から表彰を受けた社長さんが、脱税をしてはいけませんね」
「私は発明に没頭し、経理は全部重役に任していた、うちの会社が脱税しているとは思わない」
と、発作の喘息に苦しみ、息をつまらせ、とぎれとぎれに苦しいように答え、
察するに重役間に内紛があり、山口社長の知らない金が動き、重役に着服されているのである。
まづ、会社の財産を差押えるが、それでも足りない。最後の切札として、個人の山口さんに連帯保証させ、個人の家、土地を差押えした。
もう一人国家に多額の寄附をして勲章をもらっていた宮本某も滞納したので、広島市吉島の大料亭(現在郵政省の共済会館)も差押える。
税は人を選ばず、冷酷にして残忍ではある。