11 『 美男税吏と人妻 』

 対岸は 梅の寺なり 造船所

 この句は、昔の月刊誌ホトトギスに載っていたが、作者は虚子の高弟であったとおもう。

 

 春の尾道を訪れ狭い海峡の浜の景色をよく詠んでいる。 

 

 瀬戸内海の春は波も穏やかに、島々はおぼろな霞の中に眠るごとく、桃の花が咲き一幅の絵だ。

 

 ポンポン蒸気船は、ポンポコポンポコと、エンジンの音を立て、平和な島々を巡航する。やがて、巡航船は江田島兵学校が、対岸に見える小さな港に着く。

 

 海辺で日向ぼっこしている老婆に道をきくと、私達二人をギロリと視て、「デイムショだろう、鞄をもっているのは、デイムショにちがいあるまい、島には用はないぞ、早くイニャーガレ」と、ぬかす。

 

 「この糞老婆め」と、心中の蟲が、立腹するが、そのまま黙って行きかけると、「ゼイムショには嫁はやらんぞ」と、侮蔑を浴びせかける、ムツとして「ばあさん、いらん心配すな、税務署員は、色が黒く大根足の島の娘は、やるといっても、こっちがことわるよ」

 

 「税務署の者は皆美人の奥さんを貰ってるよ」

 

 と、無智で無礼なババアを相手にする気はないが、売り言葉には一矢をむくいざるを得ず、云い返し、後を見ず行く、私自身、ほど遠からぬ島々に生れ、妻も島生れだが、妻は醜女ではない。

 

 世間に税鬼と嫌われるが、不思議なことに税吏の妻は美人である。

 

 出雲時代に、闇金貸しを差押ええると、二日も文句をいいに署にきたその男が、夜、自宅を訪ねてきて、

 

 「税金のことは観念した。娘がいるので税務署員に世話してください」と、

 

 「税務署は憎まれますヨ」と、

 

 「イヤ、税務署の方は頭がよくて、見込みがあります。是非お願いします」

 

 と、頼む、昨日の敵は今日の友になってくれたと、おもいご協力を約す。

 

 その頃、札幌市の金持が、娘の婿に税務署員をむかえるが、安くなるだろうとおもっていた税金が、毎年々々高くなり、目算がはずれたので、養子縁組を解消したという笑えぬ実話がある。 

 

 閑話休題

 

 狭い島だかが目的の煉瓦屋はすぐ分る。この煉瓦屋の大将に若い署員が、謝ってもすまぬ不義理をしているので、私は極めて丁重な言葉で「税金がたまっています、納めて下さい」「すこし、待ってくれ田畑をとられ、その上、女房まで・・・・・・・・・」と、血相をかえ満面朱となり、仁王立ちとなり、私に襲いかからんとするその凄しい剣幕に怖びえ、「オイ、M君、かえろう」と鞄をさげ、逃げるように、その煉瓦屋を辞す。

 

 まさか、逃げた女房のことを、本人は口にすまいと、甘くみていたのが、失敗で、私の強い一言に、煉瓦屋の大将は、平素の不満が爆発したのだ。

 

 若い美男のA徴収係長が、税金の取立てに煉瓦屋に、しげしげ行くうちに十五も年上の煉瓦屋の女房は映画俳優に似たA君に惚れ、A君のもとに逃げる。

 

 若い徴収員は、この間の事情を知り、煉瓦屋の大将に同情し、誰れも税金の取立に行かない。私も行きたくはないが、課長の立場上、勇気をふるって虎穴に入るが、煉瓦屋に惻隠の情がありて、尻っぽをまいてかえる。

 

 美男A君は大阪局に転勤となり、広島駅に見送りに出ると、煉瓦屋の女房は、四輌の前の列車の窓から顔を出し、見送人の私達を、じっとみていた。