15 『 税吏天下に名を売る 』

 一介の税吏のなれの果ての私ではあるが、過ぎにし日に一つの輝かしい金字塔をもつ私である。

 もし、日本が大東亜戦争に勝っていたら「俳句の兵隊さん」といわれ、全国各地の婦人会や在郷軍人会は、争って私を歓迎し、グァム島の密林に18年間潜んでいた横井さん以上に私は有名となり、日本の歴史の片隅にその名をとどめ得たかも知れぬ。

 

 その日、私は岡山署の事務監査に出張していた。

 

 そこへ突然に、NHKから電話で「明晩、八時の”私の秘密”に出演してくれ」という、「公務出張中だから国税局長の許可があれば、いってもいい」と答え、十分間もせず、秘書から電話で出演しなさいと上京の許可がでる。

 

 その夜、安芸号は生憎満員で、食堂車通路に新聞紙をしき、小瓶の安ウイスキーを呑み横たわる。

 

 いまは民放が数多く、テレビに顔を出す人も少なくないが、その頃はNHKは天下唯一のNHKで、ことに「私の秘密」は視聴率80%の好評番組だから喜びと興奮に燃えて寝れない。

 

 ご対面の相手は人生劇場の作者尾崎士郎先生である。

 

 翌日午後六時、NHKに行くと「尾崎先生はこれまで度々口説いたが、女人には罪状があるが、相手が男ならと、承知してくれた。あなたを見られては困るので、ここで出番まで辛抱してくれ」と、二時間近く缶詰となる。

 

 いよいよ、私の出番で、悠然と舞台中央のマイクの側に近づく。

 

 尾崎先生はジッと私の顔を凝視するが、私の正体は見当つかぬ。

 

 それもその筈である。十七年前バターンの総攻撃への前夜、ローソクの灯りの中で僅か十数分話した初対面の一等卒だった私を、その私は髭彷々と伸び、戦塵に汚れ、乞食のような一兵を、

 

 名司会者高橋圭三アナも困りはて、ではヒントは戦場というや、

 

 「ウム、わかった。君はバターンの第一線で、俳句を私に見てくれといった兵隊さんだなあ」

 

 「ハア」

 

 転戦や一冊の俳書捨てきれず

 

 密林にひぐらしをきく命かな

 

 「こんな名句もあったなあ」

 

 「ハア」

 

と、私はテレビの画中にいることを忘れ、先生に抱きついて泣く。

 

 十七年も遠い昔、戦場の暗闇の中で会い、その折の私の句を、天下の文豪の先生が一句一句を覚えていてくれたという感激が、電気の如く私を襲い、思わず先生に抱きついて泣いた。

 

 「あなた、よく生きて還ったなあ」

 

 と、先生も私の肩を抱き泣く男と男の涙の劇的対面に、会場の観客は感動し目頭を熱くする。

 

 高橋アナが、静かに一冊の本を出し、これは戦前の文部省の小学六年生の国語読本で、その中の一節を読みあげます。

 

 十八ゆかしい心

 

 俳句

 

『第一線に近い宿舎に、待機していた時のことであった。

 

 すぐ隣の宿舎にいた一人の兵隊さんが、俳句を作ったから見てくれといって、夜中にやってきた。

 

 夜燈火を用いることは堅く禁じられているので、窓から流れ込む空の明るさで兵隊さんの顔もやっとわかるほどであった。兵隊さんがさし出す紙切れを手に取って、一字一字薄あかりにすかしながら読んだ。

 

 弾の下青もえ出づる土ノウかな

 

 密林をきり開いては進む雲の峯

 

という二句であった。

 

 四十近い兵隊さんは、前線への出発を明日に控えながら、その前夜、自作の俳句を読んでくれと、わざわざやって来たのである。

 

 「陣中新聞に発表してはどうですか」

 

とすすめると、

 

「いや、そんな気持はありません」

 

と答えた。

 

「あなたの名前は」

 

とたずねても、だまったまま笑っていた。

 

 兵隊さんは、俳句を読んでもらった満足を感謝のことばに表わして部屋から出て行った。』

 

 全国の視聴者は感動し、新聞や各雑誌に戦場に咲いた花と書き立て、無名の税吏天下にその名をあぐ。