1 『 狐うどん 』

 三人の中学生が川端で立小便をしている。

 遠く前方の青空に生駒連峰が浮かび、西空に新世界の通天閣四天王寺の五重の塔が高くそびえ、大阪の煙の空帯に突きささっている。

 

 後姿でよくわからないが、三人ともMボタンをはずし、砲列を布いて、あたかも赤い消防車の出初式よろしく一斉放射を行い、長距離飛ばし方の競演に夢中である。えんえん三メートルをこす見事な長距離砲がいる。

 

  「オレが一等だ」

と得意然と、心よげに生理現象の快感に浸っている。

 

 「こらお前らは罰金だ」

と後ろで怒声が爆発する。三人はビクッとし、驚いて振り向くと巡査ではなく、近所の顔見知りのあんちゃんTである。三人はきまり悪く雲を霞と逃走する。鞄の中の筆記類がガチャガチャと音をたててともに走る。数日後、私はTにつかまると

 

 「お前。レターを書いてくれ」

という。

 

  「オレよう書かんよ」

と断るが、彼は強硬に

 

 「書けよ、代書料にハイライをおごるさかい」

 

と押し付ける。立小便の目撃者であり、それにハイシライスは昭和のはじめは西洋料理といって珍重され、ウドン六銭、キツネウドン八銭、ハイライ八〇銭という高級料理である。いなかの少年はその異国的な匂いはたまらない魅力である。

 

 単純で食い心棒の17歳の私は、そのエサにまんまと釣られて彼の申し出にひっかかる。このことが、我が人生最大の汚点になろうとは露知らず引受けた。神聖なラブレターを、とくに人生最初のラブレターを他人の恋のために書いたとは、男の(ツラ)よごしであり、恋の冒とくであったと今にしてさみしく思い残念である。彼と下宿にかえり

 

 「書くさかいに、言いなはれ」

という、彼のいうままに書こうとするが、まったくの手紙の格好がつかない。そこで

 

 「それでは今夜書いとくさかい」

 

  と彼をかえし、教科書をめくるが、一字として参考になるものがない。困りはてて、新聞の小説から一字一句を引き抜いて、苦心惨たん、どうやら恋文らしきものを書きあげる。

 

  恋を知らない立小便の競演をする少年が書くとは無責任もはなはだしいが、他人のものという気安さから書けたのだ。どうせ碌な出来ばえであろうはずがなく、ましては名の売れた女優の心を射とめるような傑作の艶書には到底なりえなかったのである。

 

  彼は返事がないとて、約束のハイライを変更して、ウドンで誤魔化したのである。私も残念であるが、彼は一層無念やる方なく、ついに意を決して体当たり戦法をとるため俳優を志し私に毛筆で履歴書をかかせ、念願かなって俳優となり、ヤヤとスクリーンの中を駆けめぐっていた。名は宝来一夫といい、生家は裕福な酒屋であった。

 

  ちなみに高田浩吉は学校の先輩であるが、宝来(たからい)君はついに大幹部とは成り得ず、いつの間にか画面から姿を消してしまった。その女優との恋については私は知らない。

 

  私学は自由の花が繚乱と咲き百花奔放である。T君(今治市××長)は授業中の居眠り達人である。一時間中姿勢を崩さず半眼を開いて催眠する術を会得していた。とくにミセス・エセル立花嬢の美声の英会話は、彼には子守歌であった。

 

  K君(奈良県庁○○課長)は、授業中弁当を食うのは愛嬌であるが、一つで足らず、級友の弁当を食い荒いあらすので油断のならない存在である。

 

  Nは教科書を買わないのである。本代で一杯三銭(二杯でモチが一ヶつく)の汁粉屋で看板娘と恋を語る方が楽しいのである。本は隣室の仲間から借る。AB組みとも同一時間に同一授業のときは他の本を出し泰然としている。それでもカンニングのきらいな彼が堂々と試験に臨む態度はあっぱれであった。

 

  黒田君はクラリネットの天才、NHKの音楽部員であったが、卒業後、間もなく死んだ。

 

  高光は普通工業卒、二度目をつとめるという変種で夜は大学生である。先生が休むと角帽をかぶって教壇に上がり、先生の代用品となり、得意の経済学をぶつのである。

 

  広島駅前の問屋街の一角に君臨する某君は御前試合に出場の名テニスマンである。

 

  居眠り達人、弁当あらし、サボ学生、大学生、音楽家、スポーツマンETC・・・と、

ませに玉石瓦礫の混淆、その上軟派硬派の一群が割拠して、私学の雰囲気は楽しい限りであり、百花奔放、いや百家争鳴である。

 

  坂井はA組長でしかも硬軟両派の主領株という実力者で、警察署長の娘から恋文を貰い、文通していた。軟派連は、

 

  「相手が警察署長だからばれても退校にはなるまい」

とくやしがる。

 

  田舎君は姓と似ず紅顔の美少年で、いつの間にかヅカガールと文通をし級友を驚かした。宝塚は良家の子女であり、美人と限定され、振り袖に緑の長い袴、白たびという優雅な美しさで天女の如く思われ、中学生には手の届かない高嶺の花であったので皆の羨望の的となる。

 

  彼と彼女との文通がいつしか家人にばれる。女中が室内掃除のとき盗見するのである。

 

  そこで彼女から英文にしてくれと注文がくる。英語が苦手の田舎君は僕に英文ラブレターを委嘱する。彼が日本文で書く。私は。和英辞典をめくって一生懸命翻訳する。あたかも勉強しているごとく!!

 

  先生の話は聞かず、授業中苦心して恋文を書くことは、わが恋のためではないのに、至極楽しいものであった。

 

  私は恋もせず勉強もせず落第もせず、一中学生として過ごす。ただ毎日新聞主催の阪神間の駅伝競走に参加して、不世出の女流スポーツマン人見絹枝嬢から手ずからメタルの授与をうけたことと、キツネのすむ忍太之森の夜間演習で暗夜の斥候に出で楢原君とともに敵軍の捕虜になり、配属将校からひどく叱られたことが今は楽しい思い出である。

 

  酒匂中尉は戦死した。その美髯のりりしい青年将校ぶりが今も目に浮かび、恩師をしのんで切なるものがある。