14 『 手文庫の中は 』

 終戦後に、脱税を密告下された方には、一割の報奨金を差しあげます、というおもしろい制度があった。

 その頃、なお戦時中の物価統制令という法律が生きていて、米、塩の食料品などと、衣類、鉄・木材の主要必需品は、従前のままの価格で押えられていたが、

 

 世は物資不足にて、いわゆる闇価にて闇屋が横行し、闇屋ならざる者はなく、百姓も商人も、みなすねに傷もつ者ばかりだから、他人の脱税を税務署に密告する正直者がなく、この珍案も税務署が期待するほどの効果はなかった。

 

 山口という検事様は、法律を守る番人が、闇米を買い、食うは法律違反だとされて、僅かの配給米で我慢なされたが、栄養失調となり死亡なさる。新聞は、これを殉死なりと書き立てた。

 

 商人は、闇価を正直にそのまま帳簿につければ、物価統制違反として警察に検挙される。

 

 そこで、警察用と税務署用の二つの帳簿を備えなくてはならない破目になるのであるが、かかる正直な商人は、万人中一人位はいたが、多くは意識的に帳簿を誤魔化し脱税をしていた。

 

 従って税務調査は困難を極めたので、脱税通報という珍案を大蔵省は考案したのであろう。

 

 この密告の殆んどは、会社を首にされた従業員が、江戸の敵を税金で復讐するという卑屈者の仕業であったが、営業の内容を知るものの通報ゆえに、その精度は高かった。

 

 その頃、戦災都市の復興で木材が急騰し材木商が、ボロ儲けをする。

 

 津山近郊のある材木商は、若い妻と、若い会計係が、怪しいと邪推し、会計を首にする。

 

 若者は腹いせに材木商の脱税を密告する。調査の結果、二百万円余の課税する。

 

 若者某は、電話で「報償金はまだか、三十万円位は下さい」という。

 

 材木商に課税はしたが材木商は逃げて一文も納めない。

 

 この密告の課税徴収は、国税局の所管であり、○○国税徴収官は、市内の銀行を洗うと、一日違いで、百万円余の払戻しがされていた。

 

 ○○君は材木商の人相をきき、足取りを追い、追跡していると、ばったり津山橋畔で、本人と邂合し、「オイ税金を納め」「イヤ金がない」というが、懐中に何か隠していることに目がつき、『オイ、金だろう』と、鋭く追及すると、観念し、持金全部を渋々出す。

 

 その足で不足分の徴収に本人宅にいくと、若い妻一人がいた。

 

 徴収官の身分証明書を示し、家中捜し最後に女房の部屋に入らんとするや、女は手文庫を小脇に抱えて脱兎の如く便所の中に逃げこむ。

 

 「オイ出てこい、をの小箱を渡せ」、と便所の内と外で小半時間も押し問答する。女は「これだけは勘弁して下さい」と、便所の中で泣くが観念し、その小箱を放り出す。○○君は喜び、手文庫を開けるが一文の金はなく、サックが一杯つまっていて唖然とした。