33 『 税金と文学 』
税と、文学は水と油であり、おりあわず融和せぬものらしい。
今は故人の坂口安吾は、真正面きって税の反逆者であった。
税を毒づき、滞納を得然とし、伊東の自宅を差押えられるが平然とし、景気直しに杯を重ね、死ぬまで税に反抗した。
師事する尾崎士郎先生と安吾さんは酒友であり刎頚(ふんけい)の友であるので、憎んではいけないが、安吾さんは好きになれなかった。
尾崎先生が、
「きみ、税務署だな、仕事は大事にせよ」
と、いつも、意味深長な激励をしてくださる。
その尾崎先生も今はなく、ことしの二月十七日は七周忌であり、奥様から、東急ホテルで七周忌法事を行なうのでおこし下さいと、通知があるが、税繁期であり、それに天下の名士の集まる席に、出るがあでもないので欠席し、自宅の仏壇に先生の遺影を飾り静かにお念仏を唱する。
文士は税をきらうが、税に生きるものは、税を、後生大事にせねばならぬ。
署員の出入りする、散発屋の森山さんは川柳の愛好家で、頭を刈られながら、川柳を交えて裏長屋の話を聞くのは楽しい。
ふと!川柳を、納税思想の高揚に利用しようという妙案が、浮かぶ。
納税標語の募集はあるが、川柳で大大的に募集したものはない。
さっそく、出雲市の勧業課長の尼緑之助先生に選者をお願いし、山陰新聞に納税川柳を募る。遠くは、鳥取、米子からも総数100句ほど集まる。
秀逸句の5句の中3句
◎ 納税は社会い生きるエチケット
◎ 他人事でない税金だ納めましょう
◎ 納税は早期講和の秘訣なり
という当時の国民の気概を表現したのものもある。
佳作22句の中の1句
◎ 伸びる子へ生き甲斐のある納税を
という、佳作の中にも、秀逸なものもあった。
岡山県は全国一、川柳の盛んなところである。
津山市の納税者の中にも川柳の大家がいる。
そこで、薬局の小林白鳳さんと、石工屋の橋本晴之助さんに選者をお願いし、山陽新聞に納税川柳を募集する。
さすがに川柳王国だけに、県一帯から、秀作が殺到し、選者も悲鳴をあげる盛況である。特選5句と入選8句は、国税局に申達し、粗品を贈呈した。
特選句の中の1句
◎完納の町ウィンドウの灯がきれい 津山 遠藤 枯葉
入選句はみな粒がそろっていたが、とくにこの句は秀作であり、税と文字がみごとに結実し、ネオンの彩紅のように美しい。
その年、全国国税職員の第一回文芸コンクールがあり、偶然にも、わたしの川柳、
◎ 辞めた服着て税理士やってくる
が、入選三位になり、その賞状は、いま書斎の床にさんぜんと輝いている。
女房は、古くなると、だんだんずうずうしくなる。
昔はポケットの金にふれることはなかったが、このごろは何枚あるかチャンと知っている。主人の財産は、共有と思い、コッソリ勘定するのであろうが、洋服はわたしのものであり、そのポケットにある間は主人のわたしの金である。
ポケットから出て、妻の手に渡れば、そのとき、共有財産となる。
この法律を無視する、妻の行為は主人には不快である。
その朝、
「一枚ちょうだい」
と、ぬかす。
「おまえ、見たね」
「フム」
と、すましている。
前夜のマージャンで、つづけて万貫をほうり、心中、平穏でなかったため、その妻の態度がカンにさわり、
「ていしゅのポケットを探るは、不届きなり」
と、平素のふんまんが爆発し、夫婦げんかになってしまう。
一刻過ぎると、いい年をしてなあと、後悔心がわくが、余憤は残り、
(現代の女房はなぜ威張るのか)
と、思う。
「いのち」の根源であるメシをたく。腹がへるから、亭主はメシを食う、まったくていしゅの「いのち」は妻によって保存されている。それで妻が、威張るのである。
その日(けんかした日)ある人が、上肉一貫目をくれる。
帰宅すると、夕べの食ぜんは平素より豪勢である。
夫婦げんかのあとは必ず、ごちそうをして待っている。
食卓につくと、急にもらった上肉が食いたくなった。妻に命じると、
「年寄りは肉は毒よ」
と、言うので、自分で厚肉を焼き、ビールを抜いて、ムシャムシャ食う。
メシはほしいが、
<待て>
<メシは食わず、妻と一戦せよ>
と、ビールのアルコールが、心中で反逆心をおこしている。
ところが、せっかく心をこめて作った料理と、電気がまで、加減しつつ、たいたメシも食わないから、妻は心中おだやかならず、無言である。この無言が、無言の夫婦戦争を挑発する。ていしゅは意地をはり、翌朝の朝メシは食わずに出勤する。
夕めしはエビフライと、豪勢にすます。
次の朝も、メシは食わずに出て行く。
軍資金はあるので、妻が食わしてくれない、ビフテキを豪華に食う。
三日目の夕食は、茶づけがほしく、知り合いのオデン屋のママに
「妻と奮闘中だ、茶づけを食わしてくれ」
と、電話すると、ママは
「おおいにやれ、朝晩の弁当は届ける。負けたら、死がいは喜んで拾う」
と、夫婦げんかに油をかけてくる。
こうなると、オデン屋にも行けず、とうとう三日目の晩は食ぜんにつき、妻の料理を食う。
「うまい」
「ヤッパリ、妻の料理が最高だ」
と、舌鼓をうつ。
わたしは、ていしゅの面目上、降参したとは、妻に言わないが、ていしゅは三日と、外での外食はつづかぬものだと、思い知らされる。
老妻は、チャンと、わたしの心中を見抜いて、
(女房勝てり)
と腹の中で、がいかをあげている。
それが、また、くそしゃくにさわるが、ていしゅは女房に、食より飼育されていることは、まちがいない。