30 『 愛のパトロール 』

  私には、今まで三つの寝ざめのわるいことがある。

  その一つは、子どものとき、友だちと、氏神様の賽銭(さいせん)を盗んだことである。私のいなかでは、夏の和霊祭の夜には、信者は、蚊帳(かや)をつることを禁じられている。

 

それは、宇和島藩士であった和霊さんが殺されて蚊帳(かや)にまかれて、海に投げ込まれたので、その霊を弔うためである。祭の夜には、蚊の少なくない氏神殿の拝殿で、子どもたちは騒いで、夜をあかす習慣がある。

 

ある祭の夜、賽銭(さいせん)泥棒の一味に加わって、神様のものを盗んだので、今も心がとがめる。

 

  その二は、昭和20年7月、比島バギオ山中のことである。友軍は食料乏しく、栄養失調でバタバタ病死していたある日、私が食える草や木の根を探して、山中をうろついていたとき、路上に倒れて、死にかかっている他部隊の、見知らない兵隊に、虫の息で

 

 「すまんが水がのみたい」

と、哀願された。

 

  (こいつ、何をぬかすか、早くくたばれ、どうせオレにも、お前と同じ運命が待っているんだ。早く死ねて幸せではないか)

と、心の奥では、自分ならぬ自分がささやいていたが、口ではそうつめたいことはいえず

 

 「俺には水筒がない。これでも食べよ」

と、食い残しのトウモロコシの、くきを与えた。おとろえた兵隊は、それをかむ気力がないので、恨めしそうに、私を見て

 

 「愛知県に妻がいるので、よろしく伝えてくれ」

と、住所氏名を、名のった。

 

  「よし、分かった」

と、その場かぎりの答えをした。運強く、生きて故国の土をふみ、ときどき、あの兵隊のことが思い出されるが、あいにくと、住所氏名を忘れてしまって、彼の遺言を伝えることが出来ず、申訳ないと、心に悔いが残っている。

 

  その三は、独身寮時代のこと、数人共同して、寮の管理者を追い出すべく、賄(まかない)征伐いわゆるおヒツ退治をやり、普通三杯を、無理に六杯食うという、倍食運動をやり、最後の手段として一軒家を借り、共同炊事して、目的を達成して快哉を叫んだことがあるが、今思うと若気のいたりで、すまないことをしたと後悔している。

 

  その、共同炊事作業中のことである。一番若い椿井君が独創独案で、ガリずりの恋文を十数枚、ひそかに刷って、街の良家の娘さんに郵送するという、大冒険を敢行した。

 

  ミス○町と、男達に騒がれていた、「四方」という蓄音機店の娘がどなりこんできて分かったのである。その娘さんは、カルタ会で知り合っていたので平身低頭百拝して、椿井君のため陳謝してやった。

 

 他から苦情が出ないかと、内心ビクビクしていたが、ほかの娘さんは、表面に出さなかったので平穏におさまり、ホッとした。というのは我々若いグループは夜には、バー等で遊ぶが、勤務には精励し、遊びも、役人としての品位を保ち、模範官吏であったので、その名を汚したくなかったのである。

 

 恋は神聖であり、真剣でなければならぬ。遊びではないので、ガリずり恋文は、恋を冒(ぼうとく)することはなはだしい。

 

  恋を遊戯として遊ぶものは、愛の女神の怒りにふれ、かならずその男は破滅する。

 

  白神君は、伯父の経営する運送店の業務主任で、毎日苦力(クーリー)五十余人を使って、砂糖の積込み作業をしていた。満洲馬賊になる夢をいだいて家を飛び出したが、門司で変心して、とこ夏の島、台湾に渡った。

 

 炎天下で働いているのに不思議に日焼けせず、白せき長身の好青年で花柳界ではもてた。彼は愛情が、朝鮮人にもおよぶような博愛主義者であったので、宵ともなればなまめかしい朝鮮服の女たちが、呼出しの示威運動をするために、店の前をウロつくので、色男の彼も、これには困惑していた。

 

  結婚後もハシゴ酒の癖はなおらず、酔うと一定のコースを一晩中飲み歩いていた。

 

  新妻の登美子さんは、幼少のときから許婚者であり、はるばる単身で岡山の田舎から、彼を慕って、玄界灘をこえてきた、気丈夫な女である。

 

  白神君が飲みに出ると、自転車であとを追い、バーの前に行き、

 

  「あなた、かえりましょう」

と書いた紙片を女給に渡してもらう。白神君はその紙片を投げ捨てて、さかずきをやめて、コップに、あるだけの酒をつぎ、一気に飲むや、裏口から逃げて、次のバーに行く。

 

  登美子さんもそのあとをつけて行き、何件目かで、夫をつかまえて、自転車の荷台にのせて帰るのである。

 

あるとき、彼が自転車をふみ、奥さんを荷台にのせて、いい機嫌で、自宅附近まで帰って、後ろをふりむくと、荷台にのっているはずの奥さんがいないので、驚いてあとがえりすると、奥さんは荷台から落ちて、腰をうち、路上にうずくまって泣いていた。

 

  この事件で、白神君夫婦の愛情パトロールは、いちやく、町の話題となり、白神君は禁酒すると伯父や私等に宣言した。しかしこの宣言も長つづきせず、奥さんの愛のパトロールも、その後、長い間つづいた。

 

  実は私も、これに似た経験がある。男同志が仲が良いと、女同志も意気相通ずるものとみえて、奇妙に親しくなるものである。忘年会が果てて、同志で二次会を目指して、良い機嫌の千鳥足で歩いていると、いきなり町かどで

 

 「あなた、どこへいくの」

と、山の神三人が待ち伏せていて呼ぶ。男たちは

 

 「ウム、散歩だよ」

と心中のろうばいをかくして言うが、山の神は男の心を見ぬいているので、男達はその上に

 

 「アハハ」

と笑って、急場をにごす。あるときはこのパトロール隊と合流して、バーにゆき、ビールをともにのむこともある。数組の夫婦がともに飲むことは誠に楽しいものである。

 

  失敗談もある。俳句の先輩に家内同伴で招待をうけ、料亭で楽しい一刻を過ごして、玄関で靴をはいた瞬間、奥の方から飛んできた知り合いの芸妓に

 

 「オーさん、久し振りね」

とだきつかれ、すこしおくれて出てきた家内と先輩にとんだ現場をみられて、往生し、帰宅してから家内に

 

 「とうちゃん、よかったね」

とひやかされたことがある。私の妻は、酔って帰宅して、仏頂面をしていると機嫌がわるい。

 

  良い機嫌で鼻歌でも唄いながら帰宅すると、

 

  「また、酔って」

と口では文句をいうが、心中はうれしいようである。

 

  お酒をのむなら、芸妓や女給にもてて、楽しく飲むべし、というのが彼女の本心らしい。