25 『 亭主の真価 』

 世の女房は、わが亭主を傑物と、思う者は多くはあるまい。

 

  点数をつければ、精々六十五点くらいと、大半は思い、中には『腐れ縁』

と、あきらめる。仲介人は秀才、努力型、読書家と、ほめ、それを信じ、

 結婚する。しかし、本箱には、昔の円本が数冊しかなく、読書は、もっぱら

日日の新聞の見出しだけである。

 

  『石献花の、育て方が出ていますよ』

というと、石献花を愛し、十数鉢もっている亭主は、あわてて読む。

 

  『今夜は、お客の接待だ』

と、殊勝に電話するが、実は悪友と、麻雀遊びである。

 

 度重なると、悪友をして、

 『今夜はお宅の亭主を借ります』

と、電話さす。これはお互いにたらい廻し、亭主どもは、他人の女房の機嫌をとる。

 仲介人が、素行調べに行くと、遊び仲間は結託していて、

  『アイツ、酒は呑むが、素行はよく、仁義は堅く、将来見込みあり』

と、ほめちぎる。

 

  しかし、どこの亭主も女房に、友人の罪状をばらしているから、新妻は、先輩格の女房から

亭主の過去の秘密を知る。

 

  『あすこを行く人が、お宅の亭主の恋人だったのよ』

と、先輩女房は新婚生活に水をさし、夫婦喧嘩の種を蒔く。

 

  亭主は、この古傷のため一生涯、女房に頭が上らないことになる。

 

  それにしても、本は読まず、夜々麻雀ばかりしているが、首にならず、欠かさず月給を支給

される男の社会は謎である。

 

  月給袋は、封を切らず、全額一応出すから物堅く、仁義に強い亭主と、尊敬していたが、

 差引かれる税金が高い中に不審を抱き、隣の先輩女房にきくと、 

 

  『税金がそんなに高い筈はない。誤魔化しているのよ』

と、その真相を知り、亭主を責める。

 

  『結婚前に、料理屋に借金があってね』

と、白状するが、結婚前の、男の償いを引継ぐ新妻は、弱く悲しい。

 

  いまは、コンピューターとなり、機械でうつから、月給明細は誤魔化せぬが、昔は、会計係

から、月給袋一枚五十銭で買い、数字を改ざんし、亭主は小使金を着服出来た。ある官庁は、

 月給袋を女房に郵便で通知するアィデァーを行うと、家庭争議がおき、直ちに中止する。

 

  朝出勤時、ネクタイをキチンとしめ、颯爽と、いでて行く、門まで見送ると、振りかえり、

 一寸会釈する姿は、美男に見え、わが亭主ながらほれぼれする。夕刻帰宅し、

 

  『今日は疲れたよ』

  と、玄関に上るや、洋服を脱ぎ捨て、フンドシ一枚の裸体となり、

  『今日も井戸端会議か』

  『習字の一つも習え』

と、いろいろご託宣をする。亭主は、上司に叱言を喰い、来客に気をくばり、仕事に汗だくで

 あるも、女房は家にいて昼寝するは、けしからぬという魂胆である。

 

  年中真裸で、食事のときは、三才児の如く、ご飯粒をバラバラこぼす、文句をいうと、

  『折角の料理を、かしこまっていては、まずいよ』

と、うまく逃げる。井戸端会議で仕込んだ話題を、女房は巧みに話すと、亭主は、

  『ウム、ウム』

  楽しく聞いているが、実は亭主は社会勉強と思い、一生懸命聞いているのである。

 

  『今日、某宅に行くと、子供がねえ、お母さん、うちは、ビールや酒は買わないわね、みな

会社の下請けが、持ってくるわね』

という。そこの人は、 

 

  『ちがいます、うちも買うのよ』

  『アッ、お母さん、足をつめっては痛いよ』

と、叫びました。

と女房は笑いながら話す。しかるに、亭主は、女房には絶対的に公的のこと、仕事のことを話

さぬは、女を信用せぬ証拠である。

 

  日曜日は大工仕事である。案外手先は器用とみえ、曲った古釘をなおして網戸は上手に作る。

  『俺は大工になっていれば、大棟梁になっていたが』

と、サラリーマンになったことを、人生の誤算と歎く。

 

  『アイツ、要領がいい』

と、自己の力量の不足と、不勉強を棚に上げ、他人の栄達をぼやく。

 

  女房も、今後の長い人生の幾山河越えねばならぬ苦労を思い、亭主の早い出世を希い、

 亭主が出世せぬは、世間が悪いと、実力以上に亭主を買いかぶる。

 

  これはわが愛する亭主への同情心もあるが、女は、測り知れぬ女同士の対抗意識があり、亭主

が、順調満帆のコースを進むときは、女房は意気揚々とし、やがて課長、署長になると信じる。

 

  ところが、人生は女房の計算するほど甘くはなく、裏目が出て、低空飛行状態となり、亭主が、

ウロウロとすると、

 

  『トウチャンは仕事は出来るが』

と、亭主の実力を認めない上司を恨み、

 

  『隣は外交家だから』

と、隣を憎むが、この女の心理は、隣の女房に負けたという女房間の対立であり、ひいては無能な亭主への思いと変化する。この点、男は齢四十の坂を越すと、

 

  『人生は運なり』

と、大きく達観する。

 

  第一、明治、大正生れは一兵として敵弾の洗礼をうけ、銃後はB29の雨あられの銃撃を浴び

数百万の男はこの犠牲となり、祖国に殉ずる。生き残っているのは、武運が強かったからである。第二に、戦後の復興景気に乗り、運良く土地を買った者が金持となっている。

 

  第三に、先天的に強じんな五体の主は健康である。これは父祖の恩恵である。

 

  第四に、いい星の男は、仕事に恵まれ、上司に対するめぐり合わせがよく出世する。

 

  かく、男の生涯は天運がすべてではないが、八割は運が占めているか、俗にいう出世栄達を

 もって、男の評価をすることは、ナンセンスである。

 

  その人が、いかに真面目に努力し、優しい心の持主であるかが、大切である。

 

  それは一木一草を愛し、友人を愛し、隣人を愛し、苦しい人に救いの手を差しのべる男こそ

真に尊敬に価値する亭主である。