36 『 緑陰の聖者 』

  上京し、会議が終ると、ウキウキし、浅草へ飛んで行く。

 

  近年映画館が減り、さびれるが、浅草情緒は、田舎者を、こころよく抱いてくれる。

 

  女剣劇をみ、ロック座のかぶりつきで、口をあけ、美女のヌードを見ていると、赤い腰巻をパット開き、突如襲いかかり、頭から抱きついてくれる。ショーの一駒であるが、悪い気はしない。

 

  それを、ニタニタ待っているのは、中年男である。

 

  叩売りは田舎者相手の、インチキと分かっているが、口上が面白く立どまっていると、フラフラと買う気になる。

 

  「これでも買わんか、今日の客は貧乏人だ、よしまけとけ、五千円を千五百円だ」

というや、一人がパッと買う。それがサクラとは知らず、田舎者は安心して、われもわれもと買う。

 

  とこらが、全然書けない、インチキ万年筆である。

 

  「また、都会の奴にだまされた」

と、田舎者は口惜しいが、心中では

 

 「よくもだました」

と都会人のずるさに感心する。

 

  つぎは浅草寺の裏の、大樹の下の素人将棋を見に行く。

 

  将棋狂いの父は、上京すると一日中そこで、都会の閑人と将棋をすることを楽しみにしていた。

 

  一回十円であるから、金もかからず、大衆的な憩いの場である。

 

  帰途は、大阪に下車し、通天閣の新世界に遊ぶ。名物のドテ焼は庶民の味である。

 

  新花月の万才を聞く。朝は八十円だが、午後は二五〇円に入場料ははね上る。朝から入り午後までいて、万才や落語に笑いこけて一年中の、心の垢を洗う。

 

  梅田の新花月は、芸能人の登竜門にして、ここで人気が出ると、放送局が引っぱる。

 

  広島にはヌードの広栄座があるが、寄席はなく、妻と二人、ときどき上阪し新花月に行く。

 

  パチンコの金属の音は、こころよいが、アッという間に、客の金を小さい穴へ吸いこむ。

 

  それより、平和公園の樹下の、素人将棋を観戦する方が楽しく健康的である。

 

  数年前は十四、五人に過ぎなかったが、いつしかファンは急増し、今は百人近い愛好家が屯ろし、われを忘れ、将棋と碁に夢中である。

 

  老隠居、中年の店主、仕事帰りの職人、学校帰りの高校生もいて、相手を選ばず対局し、ある者は端然と正座し、ある者は足を投げ出し、各自気ままに、時間を忘れ、金儲けを忘れ、妻子を忘れ、一石の動き、一駒の嘆き、夢中と忘我の郷にある。

 

  ある日、対局中の一人が、いきなり倒れ、口から泡を吹いて苦しむが

 

 「テンカンだ」

と、誰れも見向きもせず、小半刻後、その男は起き上り、ニヤッとして、対局中の碁をつづける。

 

  その相手は、これまた一石打つごとに、咽喉の奥が、ゴトンとなる奇病の持主である。

 

  ここでは健康な人も、テンカン病も喘息もちも、皆平等であり、金持も貧乏人もなく、青葉の樹下に一石、一駒の勝負に生き、勝つと喜び、また負けても悔しがらず、人生の一喜一憂を盤上に求め、そして皆、無欲の集団であることは確かである。

 

 

 

 

 

37『ミニ』

 

  

  朝の電車の乗客は、僅かな時間帯により客層が異なることに気づく。早朝は学生と、筋肉なサラリーマンが多く、八時ごろは普通サラリーマン、若いOLである。八時半をすぎると、家庭の主婦が目につき、その多くは手帳を、抱えこむように持っている。パートの保健外務員らしい。

 

  向側に四人の若いOLが坐ると、ミニから殊更に露呈している八本の白いももは、男には痛いほど強烈だ。お顔の方は、自慢に見せている。ももほど美しくないのは、せめてもの救いである。もし美貌、美ももであれば、男達は混乱し、この世は乱れる。

 

  それにしてもスラリと見事に伸び、モリモリと発達したももは芸術品であり、惚れ惚れと見つめ、この足となら心中してもいいと思う。

 

  若いとき「木椅子」という短詩集を、数人の仲間と発行していた。

 

  土肥は月のような抒情詩を書くが、部屋は書き損じのまるめた原稿紙と、古新聞で埋まり、一年中掃除せず、紙屑が山となり、その中で平気で寝ている。酔うてねている彼を起こすには、足で紙屑をけとばし、叩きおこさねばならなかった。

 

  川崎は全く対照的に、きれいずきで、ゴミが一つ落ちていても気になり、ひどい近視の彼は、目を畳にこすりつけて、ゴミを探し、それから、安心して詩を書く。

 

  この川崎は酔うと、女の足の踵をなめる奇癖がある。

いつの間にか、女の坐っているお尻の下にある、足のかかとをなめに行く。

 

  芸者は白足袋をはいているから襲われることはないが、下働きの女中が酒席にきて坐ると、必ず襲う。

 

  下働きは、足袋ははかず、足の裏も汚れ、かかとは、最も汚れているが、彼は、それを意とせず、汚たない、かかとをなめる。女中が悲鳴をあげて逃げると、追いかけて横倒し、裾をはぐり、体ごと、足に抱きつき、ところかまわず、足をなめまわす。

 

  「汚たない、よせ、よせ」

と私等は叫ぶ。

 

  「イヤ、女の足は、味がある」

と、抱きついて離さない。

 

  小説家を夢見ていたが、28歳で、血を吐いて死んだ。

 

  副島は葉隠れ武士の血を引く剣道三段の美丈夫、いつも、紋なしの黒羽織を着流し、颯々と色街を美剣士の如く闊歩し、年増芸妓に惚れられる。

 

  そのころは良家の子女には、世間の目が厳しく、手をふれることもならず、いきおい、若者は遊里の女に童貞を奪われる。

 

  今の若者は、愛は恣しいままであり、我が家の近くのアパートには、中学を出たばかりの女の子が、高校を昨年おえた若い者と、同居し、すでに一児があり、天井に吊るした、オルゴールつきの回転遊具が、五色に輝いて一日中廻っている。

 

  目の前の座席の、八本の、もも、足を、ひそかにななめにながめつつ、今昔の思い出に浸っている。

 

  と、突然に一人の紳士が近づき、私の下腹部を指さした。

 

  ハッとして、そこに目をやると、窓のボタンがはずれている。

 

  素早く窓はしめるが、陶然とし、女の脚を、心中鑑賞していたことが、浅間しくてならず、その紳士に、言葉のかわりに目礼をし、用もないのに次の停留所に下車し、ヤレヤレと、冷汗をかきつつ、電車を見送る。