17 『 ファンレターと亡霊 』
先日、某君が
「天下の知名の士に知己があり、またファンがあってよいですね」
と僕にいった。尾崎士郎先生、夏目伸六先生それに高橋圭三さん等の知遇を得、とくに尾崎先生には弟のように可愛がられた。
朝潮が、先生に贈呈した横綱土俵入りの、大ざぶとんを譲りうけ、家の家宝としえ秘蔵し、先生の厚情には深く感謝している。
そんな知名の人に知り合いがあるが、ファンはいない。
実はファンという言葉を、私も平素口にしているが、その意味が半解であったので、調べてみると、ファンとは扇であり、人気者をあおりたてるミーチャン、ハーチャンのことである。私には、こんなファンはいないが、異った意味のファンは幾人かいる。
署の裏庭に咲いている残菊は、東京の人から、昨春送られた種子をまいたものである。
尾崎先生との劇的な「ご対面」に感動したと手紙をもらい、爾来、四年間文通しているが、まだお会いしたことのない、全く未知の方である。
手紙の文面で伺うと通訳官らしく、小菊作りの名人、と東京日日新聞は報道したが、それほどの腕ではないと、昨年の手紙には書いておられた。
この方のほかにも、全国から十数通の手紙が舞いこみ、なかには
「税務署にお勤めなら、伯父が医者をしているが、財産を内密に調べてくれ」
と誠に迷惑なものもあった。
大阪の、精神病院の婦人は、十数枚の便センにおなじことを繰りかえしくりかえし書いていた。
いま文通しているのは、京都の女子大出の、家庭の主婦と東京の方の二人である。
それに、兵庫の有名な酒造家が、毎年正月に、銘酒二本を送ってくれる。
昨年の五月ラジオ中国で、私の陣中俳句をテーマとして、名優、宇野重吉氏が私の役となり、ラジオドラマを放送したときも数通のファンレターがきた。広島県下で『私の秘密』に出演した者が三人おり、NHK三人会をつくって、文通し、お互いがファンとなっている。
私の場合は”事実は小説よりも奇なり”を地でいき、全くの偶然が、意外の現実に発展したのである。およそ、人生は運という偶然が、一生の幸、不幸になることが多い。しかし私は、大臣になることでもな。金持になることでもない。
一介の税吏に終わるとも悔ゆることはない。いかに自分の生涯を充実し、生きている悦びを真に味わいつつ、心豊かに日日を送ることにある。ただ生きて、呼吸しているだけでは植物と変わりがない。
自分の仕事に情熱をもち、闘魂を失わず、怒り悲しみ、また愛し、愛されて、人生を磨かねばならない。
そして、日本の空気のうまさを知り、美しい山河に、生をうけたことをよろこび、自分の力を、十分発揮し、このいのちを完全燃焼して一片の未練を残さず、悔いなく大往生すべきである。
結婚後すでに二十数年になる。正確には二六年と十か月である。
顧みて長いようでもあり、新婚の夢が、昨日のように思えるときさえある。この長い間、働き蜂としてせっせと稼ぎ、月給はそのまま一銭もごまかさず妻に渡している。
友人は会計から月給袋をもらいうけて、いち番細工のしやすい超過勤務手当を減額して、別の月給袋を作り、飲み代にしていた。
「あなた、今月は夜勤をしたのに手当が少ないのね」
と不審がる。
「ウム、役所の予算が少ないのでね」
と逃げる。ある署で奥さんあてに
「ご主人の収入はいくらです」
と、通報する施策をしたら家庭争議の原因となり、この良策もすぐ取り止めになった。
鵜匠の話では、老練な鵜はのどわをしめていても、要領よく呑みこみ、全部はき出さないそうである。鵜でさえ然り、まして頭のいい男においておやである。私は全部出すが
「今月は交際費が五千円いったよ」
というと、妻は何の疑いもなく呉れる。
二十数年間、正直一路に奉仕したおかげで、信用があるのである。
かく我が家の財政はすべて妻が握り実権があるのであるが、東京に遊学している長男が単車で衝突し、
「損害賠償問題五万円至急送」
とウナ電を打ってきた。また嘘のつくりごとであろうと思うが、わざわざ出京して確認することも出来ず、大蔵大臣である妻に
「金を出してくれ」
というと、妻はそんなに現金はないという。
私は二十数年間も働いて全部貢いでいるので、怒り心頭に発し
「この馬鹿野郎」
とどなると、妻は冷然として
「娘を嫁にやり、大学に出して、その上に貯金していたら人がふしぎに思いますよ」
と預金のないことを当然と心得ている。そしていわく
「私が辛棒して、金を貯めて死んだら、すぐおとうちゃんは、若い奥さんをもらって楽しく暮すんでしょう。女ばかり損をする。基町の官舎の奥さんは、辛棒していて死んだが、男の人は一周忌もこないうちに若い奥さんをもらったのよ」
「フム」
と、私は何気なく聞いている。妻は真顔になって
「夜な夜な、前の奥さんが現れるんですってよ」
ご主人が出勤すると、新らしい奥さんが隣の家に飛んでいき、そこの奥さんに
「昨夜も、白地に銀杏(いちょうの葉)を散らした女の人が、枕元に立つのよ私とても怖いわ」
と青ざめる。
「その模様の着物は、死んだ奥さんが好きで、いつも着ていたものよ」
「それほんと」
「ほんとよ」
と隣の奥さんも、新しい奥さんも、死んだ奥さんがこの世に未練があって、成仏できず執念の深いことにおそれをなす。
私は妻の話をききつつ、
「そんな馬鹿な話があるか」
と問題にしないが、妻は、
「ほんとよ、どうせ私が早く死ぬのだから、化けて出てやる」
と、おどかす。私には
「保険に入っておいてよ」
というが、そうゆう妻は絶対に保険に入らない。
妻はもし彼女が先に死んで、
私が若い奥さんをもらって、自分が辛棒した金で楽しく暮されてはシャクだ、
という深い遠謀があって、全然、金に執着を持たないのである。
私もだんだん妻に同化されつつある。