13 『 トイレ文学 』

  いろはかるたに

 

 「せっちんにまんじゅう」

と、いうのがある。

 

  可愛い小坊主が仏壇の供物の饅頭をかすめて、しりをまくって、ぱくついている絵は、ほほえましく、字を知らぬ童子でも絵をみてとれて、子供心にもうれしいものの一つである。

 

これを

 

 「便所で饅頭」

とすると、味気ない。

 

 一等兵物語ではないが、兵隊にとられた者は誰れしも経験する。

 

  一椀の麦飯と一汁では腹が減り、酒保でアンパンを買い、ひそかに便所に入る。

 

  この場合、催物がなくても、ただつくねんとしていると格好がつかず、尻をまくって、あの姿勢にならないと、落ちついて食べられないものである。

 

  そのあと、

 煙草を一服喫いたいが、煙がもれると、便所からつかみ出され、顔がまがるほどビンタをとられる。

 

  一服喫い、口の中で噛んで腹に入れるが、余煙が残る。

それを便壷に向い吐きこむ。すると煙は舞い上がってくる。それをまた吸うが、煙は臭気紛々である。

 

  若いとき大阪で医者の食客をしていた。この医者殿は起床すると、必ず朝日、毎日、大阪時事の新聞をもって用達に入り、毎朝四十分あの臭気の中で新聞を読む。時事新報連載の「人生劇場」は好評であり、私ともう一人の食客の二人は、それが読みたくて、医者殿のお出ましを待ち、余臭のある新聞をむさぼるように読んだ。その頃は水洗便所はなく、大きな糞が落下すると、水しぶきが、噴きあげてくるので、瞬間 お尻をヒョイと上げなければならなかった。

 

  四十分もあの姿勢でいると、足腰がしびれるが、医者殿は平気であった。

この点毛唐は、腰かけ式であるから長期戦にも楽である。

 

  フイリッピンでは、アメリカの捕虜の、監視兼共用作業をしていたが、彼等は竹二本を二尺ほどの高さに並べて、その下に穴を掘って急造の共同便所を作り、朝は数十人が並んで、腰をかけてゆうゆうとやっていた。逸物がぶらりと並び、まことに壮観であるとともに長閑な風景であった。

 

  因果は回る小車で、こんどはこっちが捕虜となって、収容所に入る身分となる。

 

  収容所の大便所は一尺ほどの高さの長方型の箱に、しりがはまる、円い穴が二尺ほどの間隔で二列に並び、背中を合わせてウン行し、用がないときは円いふたをする。

 

  二千人もいる収容所は朝はどのかわや(厠)も満員の盛況となる。

 

  ある朝、用便中の一人が、火のついた煙草の残りを腰をうかして穴の中にほうりこんだ。

 

  その瞬間、パッとすごい音響とともに火を発し、用便中の全員は驚いたが、後の祭りである。

 

  全員仲よく、穴型におしりを黒く焼き、○○付近の雑木林は、もちろん全焼した。

 

  その収容所は、ガソリンで糞を焼却したのを知らなかったのである。

 

  日本の兵隊は、全く不衛生である。駐屯すると、形ばかりの、急造の厠をつくるが、大食漢で大糞する兵隊は、三日もすれば、腰を浮かしても出来ないほどの糞を吐き出す。あとは付近の畠一帯が、足の踏み入る余地のないほどの黄金境と化する。

 

  フィリッピン人のは超衛生的であり、水洗式も及ばない。

 

  比島人のバハイ(家)は床が、どの家も五尺ほど高い、かわやは家から少し離れていて、竹の手するの廊下を渡って行く。

 

  床の下は何の造作もなく、糞便をすると、下で豚が待ち受けている。賢い豚は廊下を人がわたっていくと、先まわりして待っていて、全部平らげてあとかたも残さない。三十年ほど前に水久保という女優が、留学中の豪農というフィリッピン学生と恋の花を咲かせ、菊池寛先生が月下氷人となったが、水久保の嫁いだ富裕の家も、この程度のものであった。現地人が、

 

  この家だと教えてくれたので間違いなく、水久保さんが逃げて帰ったのは無理もない。

 

  野糞の壮快味は、男しか味わえないものである。殊に、男ばかりの戦場での野糞は遠慮がなくていいが、家豚が現われて近寄り、追えども去らず、食いにくるには閉口した。

 

 武装しての行軍は、紙一枚も重く、何にもかも捨ててしまうが、チリ紙の四、五枚は残した。

 

 出征のとき、井泉水の句集を背のうの底に秘め、戦いのひまに読んでいた。

 

バタン半島総攻撃の前夜、今生の名残りと思い、自作の句を報道班員として第一線にきていた尾崎士郎先生にみせると、

 

  ’’ 進軍や一冊の俳書捨てきれず ’’

 

 「この句はいいねえ」

と賞めてもらい、とてもうれしかった。その句集も一枚一枚破って尻をふいた。

 

  バギオ山中では紙はなくなり、十円紙幣でおしりをふいたが、どうもうまくいかなかった。芋の葉が一番いい。二十年四月から九月十六日に投降するまで、芋の葉のお世話になる。

 

  食うものは芋と、その葉っぱであり、あと仕末も芋の葉であった。比島人は紙は使わず、右手であり、使用後洗うのである。そのため食事は右手は使わず、左手の五本はしである。

 

  台湾人は竹切れを使い、拭くのではなく、こさげるのである。

 

  比島の山奥のゴロテ族は一本の縄をはっていて、これをまたいで、ふいていた。

 

  その縄はウンコで黒く光っていた。

 

  日本でも、大正末期まで四国の山の中に、この縄があったのであるから、人は笑えない。

 

  火野葦平氏は、糞尿譚を書いて芥川賞を得たが、真実の黄金の文字は、庶民の共同便所の、落書にあるのではないかと思う、卑わいなものが多いが、中には文学的なものがある。

 

  落書ではないが、

 

  --- いそぐとも 外に散らすな朝顔の ちればみにくし 吉野の桜 ---

 

 また --- 砲列一歩前へ ---

は文句なく一歩前進させられる。

 

  ある駅の便所に入ったら

 

 --- 便所にきたら横を見ろ --- とあり、横をむくと

 

 --- 横ではない、うしろだ ---

 

とあり、ついつりこまれてからだを振りむけてみると

 

 --- うしろではない、 きょろ、きょろするな、大馬鹿野郎 ---

 

とあり、思わず自分の姿をかえりみて浅間しく、一大痛棒を喰った思いがすると、同時に、こみあげてくるおかしさを押さえることが出来ず、便所の中で大笑いをした。

 

  --- 横をみろ ---

 --- 横ではない ---

 --- うしろだ ---

 --- うしろでない ---

 --- きょろきょろするな 大馬鹿野郎 !! ---

 

の、この三段的警句は、凡夫の私には誠に痛いところを衝くものがあり、教えられるものがある。

 

  世界的な黄金文学の最高は

 

 --- 汝の一滴が世界を創造する。偉大なるペニスよ ---

 

であると、外人の便所文学研究者は言っているが、私はこの三段警句の方が、

これをこす傑作であると思う。共同WCがタイルに化粧され、文化的に衛生的になったが、かかる庶民の黄金文字が消えたことに、得体の知らぬ、惜別の情がなきにしもあらずである。