12 『 百歩蛇 』

  台湾は蛇が多い。熱帯のフイリッピンには大トカケが棲むが、蛇は少ない。亜熱帯の台湾は蛇の生息に適し、いたるところに有毒無毒の多種多様の蛇が棲む。

 

  青竹蛇は真竹の如く青く、樹上にいて、下を通ると襲いかかる。

 

  百歩蛇は、昼は草むらに潜み、夜道に、はい出て人を噛む。

 百歩いかぬ内に、毒が全身にまわり、人間はあえなく絶命する。

 

  現地人はこの蛇を好んで喰べる。とくに毒蛇は強壮剤としてマムシ油となり、その肝はとても高価である。皮は財布となり、骨は焼いて喰べるから捨てる部分がない。

 

  蛇取りは蛇の冬眠場を知っていて、鋤で堀おこして生捕りにし、町に出てきて蛇の商売をする。蛇の活動期は四月から十月頃までである。あいにく、その期間が地積調査の時期であるので、私はいくどか蛇に襲われた。台湾笠に地下足袋、脚絆という土方のいでたちとなり、一日数十キロを踏破せねばならぬ。蛇を恐れていては仕事にならない。

 

  田、山畑、原野、山林を、戦車のようにかけめぐる。十米近い崖をよじ登り、顔を出すと、そこにコブラが上半身を立て、頭を三角にし、赤い舌を火の如く吐き、私めがけて飛びかからんとする。ハッと驚き、私は反射的に身を翻るがえし、崖下に飛下りて危難を脱す。

 

  あるとき風もないのに突然身辺のソウ僕が、ザワザワと音を立てる。異様に思い、振り向くと、大蛇が私を目がけて突進してくる。一瞬背筋が逆立ち、ガタガタ五体がふるうが、逃げられない。無意識に、右手に持っていた地図をパッと開き、その中に身をかくす。すると、数米先まで進んできていた大蛇は、サッと方向を真横にかえて、谷底へ、丸太棒を突こむごとく、ザッと音を残して、その姿を消した。

 

  おもうに、大蛇は目の前の人間が忽然として、一枚の紙になったので、それに驚き退散したが、もしあのときあわてて逃げたら、大蛇は私を追いかけて、餌食にしていただろう。あのときのことを思うと、鳥肌が立ち慄然とする。

 

  山奥には宿はない。カバン持ちのところに泊る。カバン持ちは日本語を話し土地の勢力者であり、本妻が一人、後妻が四人いる。夕べの食卓上は鶏の水炊き、豚、草魚と、心づくしの大饗宴である。

 

  それよりも珍客には妻が挨拶に出てくる。一番目は後妻の四人目で二十歳、二番目は二十四、五歳、三番目は三十前後、四人目は四十歳、本妻は五十を過ぎ、纏足である。それに本妻と第一号の後妻の娘は十七、八歳であり、まるで女護島。

 

  宵から媽祖廟のお祭りの銅鑼の音が山峡にこだましている。娘が、

 

  「お祭りに行きましょう」

と、誘う。

 

  「夜道は蛇が出ていて、危ないのよ」

と、一つの懐中電燈は足許を照し、私と娘は肩をよせて、坂道を下り、谷峡に行く。

 

  ガス燈があかあかと点じ、仮設の舞台の上には、黒いひげの役者が、一本の竹をまたいで、舞台上を廻り、ベラベラしゃべっている。娘は、

 

  「あれは関羽よ、竹は馬を意味し、馬上ゆたかに関羽が戦場をかけめぐっているのよ」

と、芝居の筋書を説明する。谷峡の夜は深々と更けるが、芝居はやめそうもない。娘は、

 

  「かえりましょう」

と、私の手をにぎる。しっとりとした温い手である。

 

  「日本のこと話してよ」

  「ウム、日本は雪が降って寒いよ」

 

  「桜、美しい」

  「ウム、春はいいよ」

 

  「一度日本に行きたいわ」

と、私にあまえる。

 

  娘の髪にさしている口梨の花は甘づっぱく匂う。

 若い私は心中現地妻との恋の冒険を夢見つつ、夜空を仰ぐ。

 

 

13『褌』

 

  

  ミニに最初は、男達は戸惑うが、見慣れると、若い肢体が溌剌とし、世の中が明るくなる。和服の婦人は後姿が美しく、白い足首に裾がチラチラする。そこに色気が匂い、思わず男は足を早めてついていく。ミニは後姿より、前面に魅力があるが、どうしてか私にはわからない。

 

  いまは老婆もパンテーであるが、大正末期までは、女は、赤い腰巻をしていた。

 

  娘は赤いモスリンの布を腰に巻き、泳ぐと赤いモスリンは、水中をハタハタと染め、女体は白く、さながら金魚である。悪童達はこのときとばかり海中深く潜航し、金魚の下を泳ぎまわり、海中に目を開いて、女体をのぞいて喜ぶ。娘達は逃げ回る。悪童はふかのようにしつこく娘の肢体を追うが、色気ではなく悪ふざけである。

 

  ところが、大正12年の白木屋事件があり、この奥床しい、赤い腰巻は、西洋風のパンツにその座を譲る。そのころのデパートは若い娘の憧れの職場であり、美人ばかりいた。

 

  ある日防火演習が消防署の指導の下に行われ、男はスルスルと縄ハシゴを降りる。女子もいざという場合を仮定し、数人降りることになるが、和服に袴を着用していては、若い男のように身軽でなく、恐る恐る一条の縄をにぎり徐々に降りかける。

 

  地上から仰ぎみている観衆は、袴の中身がチラチラするから、ワイワイ騒ぐ。

 

  女は羞恥で身体を固め、無意識に片手で袴のすそを隠さんとした瞬間に地上墜落し、死亡するという珍事がおきた。それからは女は男のようにパンツをはくようになる。このパンツは白い布地であったが、戦後は七色のパンテーとなる。

 

  物ずきな男がいて、干してあるパンテーを盗み、山の墓場に、万国旗のように飾って悦に入っていた。

 

  巷間、美智子妃殿下愛用のパンテーと宣伝し、男も五色のパンテーをはく。日本古来の褌は徐々にその影をひそめる。私は国粋主義を愛し、今もふんどしの常習者で、ときどき体重測定のため町の銭湯に行くが、褌の者は一人もいないのは残念だ。

 

  兵隊は、洗濯も、縫物も、全部自前でしなくてはならず、褌は洗濯も早く、細いヒモを一本縫いつければよいから、作成は男でも気楽にできる。

 

  同年兵の立石は褌のストックがなく、教会の聖母マリアの衣を剥ぎとり、褌を縫う。

 

  「罰があたるぞ」

  「戦場であたるのは敵弾だ」

と、マリア様を軽視していた。そんな彼が、

 

  ある夕べ、椰子の樹下の、急造のドラム缶風呂に水浴中、思わぬ方向から弾が飛んでき、褌をする間もなく、裸のまま戦死した。

 

  戦敗れ、捕虜となり、収容所に入ると、

 

  「捕虜は皆、まる裸になれ」

と、米兵が命令する。

 

  一枚の褌を一年近くつけていて、褌は雑巾のように汚れ、捨てるに未練はないが、フリチンになるのは由々しいことである。

 

  「そのまま両手を上にあげて進め」

と、米兵はいう。皆仕方なく、浅ましいかっこうで歩を進める。

 

  ギラギラと輝く白昼下に一糸をまとわず、フリチンの私は

 わが身が悲しく捕虜という恥辱は死ぬよりつらいと思う。

 

  暫らく進むと、

 

  女の米兵がいて、白い粉を、頭髪の中からチンチンの毛の奥まで吹きつける。

 

  あとで白い粉はDDTであることを知る。

 

  シラミのわいている日本兵を消毒してくれたのであるが、

 褌をとられ、まる裸にされた恨みは、今も消えない。

 

 

 

14『三次元の男』

 

 

ノグチ・イサムがデザインし、一時広島の名物になっていた平和大橋を渡っていると、車中から青坊主が

 

 「先生」

 

と、叫ぶ。僧の照蓮だ。二年ぶりの出会いで、近くの喫茶店に入る。

 

  「元気だな」

 「ハア」

 「発展していると聞くが」

 「どういう意味ですか」

 

と、若い僧は私の心中を知っているが、不審そうに聞く。

 

  「昔から教祖は女に強い」

 「イヤ、改心しました」

 

 「それは教祖の資格が欠如だ」

 「先生、過去は勘弁してください。女は断ちました」

 

 「そうらしいな、小川君が、京都に連れて行った女と別れ今や教祖的存在だというていた」

 「小川が、私を教祖だと、いっていましたかね」

 

 「信者が押しよせているというが」

 「一日に十数人きます」

 

 「ほんとに難病を救うか」

 「なおっています」

 

 「それは誠の教祖様だ。いつ神通力を会得した」

 「そんな力はありません」

 

平然としているので

 

 「どうして癒るか」

と、重ねて聞く。私はこの男を信用してなく、半ば冗談に教祖だと、からかっていたが、

 

  若い僧は

 

 「別に教理も説かず説教もせず、患者と話し合っている中に自然に患者が勝手になおります」

と、言う。この一言を聞き、彼が過去のように偽善者ではなく、

 世間の一部が騒ぐほどの教祖になったと信じる。

 

  この僧、照蓮こと、高山君は、三年前誇大広告と、職業安定法にふれて摘発され、

 一ヵ月近く留置され、中国新聞の三面全部を埋める大事をおこす。

 

  「先生、先生」

と、私を兄の如く慕い、一流店に案内して御ち走する。私は、三十二才の若冠で、商工会議所に事務室をもっている、彼の、不思議な力量を高く買っている。

 

  彼は、企業のコンサルタントである。週刊誌を見て、来年の服の図柄や、流行の色柄をづばりと当てるから、企業は、彼を大事にする。

 

  鋭い思考力は、ただ者ではなく、善用すればいいが誤れば反逆徒、天一望になりかねない火薬を抱く男である。

 

  「君は週刊誌を賑わす要素があるぞ」

と、常に彼を警戒していたが、案の定、大事件をおこす、私には内密に宮島観光ホテルや、市内の一流旅館業者と密議をなし、ホステスを集めるのに悪いたくらみをする。万国博は近づくが、ホステスは集まらない。そこで、高山君の奸智にたけた頭は、多くの人が、常識では考えられぬことを正面切って、堂々と実行し、中国、四国の五県から高校卒の美女を数十人集める。

 

  出雲会館において、盛大に入所式を行うという朝に、私はそのことを知り

 

 「中止せねば大変になる。皆、娘さんを帰せ」

と、彼に讒言する。

 

  「イヤ、大丈夫です。ホステスではなく、私の会社の社員であり、旅館に出張するこことするので、どの法律にもひっかかりません」

と、いう。

 

  「大事な娘さんを、会社員という名目で集めて、ホステスにしては世間が許さんよ」

と、強硬に、娘達を解散することを要求するが、

 

  「いまさらどうにもなりません」

と、青い顔をする。

 

  式場に行くと、旅館業者は、若い高卒出の美女を数十人集めてホクホクしている。

  広島駅長が来賓として祝辞を述べるが、事情を知っていない。

 

  私は決然と立ち上がり、高山君をそそのかしている旅館業者を睨む。

  しかしこの式場で娘達を帰せとはいえないから、

 

  「この高山君の事業は大変である。彼は命をかけているでしょう。あなた方旅館業者は、彼を助け、いざというときは心中してください。」

と、暗に「このインチキはやがて世間に知れ、崩壊する。そのときは旅館業者も切腹ものだ」と私は叫ぶ。

 

 果して三日後、彼はこの事件と全く関係のない、税理士法違反という嫌疑により逮捕される。新聞をみて、親と先生は驚いて駆けつけると、娘は旅館に分散し、女中をしていることを知り、先生も親も吃驚仰天し、娘を連れてかえる。数人の娘は、彼を信じ、女中は、実地研修であり、やがてホステスの指導者となり、万国博に押しよせてくる外人客のガイドになる夢を捨てず、親が説得しても帰らぬものがいた。

 

 彼の話術は平凡だが、静かな口調で人の心をさぐるものがあり、いつしか彼の術策に若い者は陥って行く。○○の中国支社も彼の講演を高く評価し、幹部級の再教育のため、彼を講師として迎えていた。女子の採用試験には、わざと難問を出す。応募者は、その問題におどろくが、反面会社の内容がよいのだろうと錯覚する。そこが彼の狙いである。

 

 全部採用されるが、難関を突破したという自身と誇りが湧き、会社となら運命を共にしてもいいと思う。それに、大学卒の高給であり、身の廻りは一切支給する彼の会社は、実は名目のみで、裏に旅館業者がついていて若い娘を一時的に喜ばしたのである。旅館業者は彼の悪智慧をうまく利用しようとしたが、三日にして事は破れる。

 

 彼は逮捕され、旅館業者は警察から呼び出されるが、業者は、罪を若い高山君におわせた。

 

  留置中の彼から電話があり

 

 「女のことはよろしく頼む」

と、いう。

 

  「よしよし」

と、私は返事したが、彼の秘書役の女の子を呼び出し

 

 「彼と別れ、田舎にかえりなさい」

と、説諭する、娘は別れますと答えたが、広島を去らず、彼が前非を悔いて、丸坊主となり高野山に登るとき、女は彼のあとを追って行った。彼は悪党ではないが、思考の次元が一次元高くそれが狂うと、飛んでもないこととなる。高野山で修行していたと思っていたが、半年いてかえり、父のあとを継ぎ住職となり、いまや教祖として、法を説き難病をなおしている。