9 『 想恋夫 』

 山下将軍の巨体がいずこに埋葬されているか、今もってナゾであるが、

 処刑は昭和二一年四月九日の予定であった。どうしたことか二日後の十一日午前一時十七分に執行された。場所は、比島ラグナ湖畔の、ロスパニオスの丘の上の刑場であった。

 

  将軍は泰然として十三段の絞首台に上がり、りっぱな最後を遂げられた。

 

  敗戦のすえ俘虜となって、兵隊は、かって陛下の名の下に威張っていた将校に、例外なく反感をいだき、憎しみをもっていたが、山下将軍に対しては、慈父の如き親しみと愛情を捨てず、その死を悼み悲しんだ。

 

  私はくしくも処刑の数日前に、刑場周辺を俘虜仲間十九人と掃き清め、また戦争中は、バギオ山脈で将軍の転進用の愛馬二馬を、特別機密命令をうけ、預かっていたという深い因縁があるので、将軍の処刑はとくにかなしかった。

 

その愛馬は岩かげにかくしておいたが、山下泰文移動す、という情報を米軍が探知してその峡谷一帯を雪がふったように真っ白に埋めた数千の落下傘爆弾のため、二頭とも損傷し廃馬となった。

 

  我々は将軍の死がいたわしく、悲しみの余り散々伍々収容所内の丘に集まり、頭をたれて黙祷をささげた。すぐ隣りにいた秋田県人の谷野君が「荒城の月」を口吟すると、皆これに和して静かに粛然と歌う。

その哀切のひびきはラグナ湖上をわたり、はるかな祖国にとどいていくようであった。

 

  この情景は「マヨンの鐘」として映画化されている。このとき私は一詩を読む!!

 

   ああ巨星墜つ マキリン山に かかる白雲 いずれかに去り

  ラグナ湖畔月淡く 神州の夢ここに果つ ああ誰れがうたう 荒城の月!!

 

  それからまもないある日、私は米将校のキャンプに行くと、一人の将校が日本字の手紙を読んでくれという。

なかなか流麗な女文字である。

 

----恋しいキャプテンお元気! わたしもお腹のベビーも元気です。 きっとキャプテンに似て美男子よ、ワタシ 美男子を生むわ、早く日本に帰ってね---とペン跡も美しく恋情がこもっている。

 

  私は一読し「この淫売女め」と強い怒りを感じたが、さりげなく

 

 「早く東京にかえってくれ、恋しい、会いたい」

と書いてあり、とてもユーを恋しがっていると、ベビーのことはわざとふれずにいってやる。

 

  その将校は

 

 「オオサンキュー」

と大いに喜び翻訳料として煙草一本をくれた。このことを西野君(岡山県人で満州開拓団員たりし人)に話すと、西野はよきニュースとして、大声で

 

「日本に処女なし」

と言葉巧みにこれを宣伝する。

 

  そのころ収容所内では、日本は食糧難で富士山麓の草を食っている。娘は皆米兵に陵辱されているというデマが飛び、皆祖国を案じて不安な状態になっていたので、西野の報道は非常な衝撃となり、デマを真実と信じて、ある者は悲観沈痛し、ある者は悲憤慷慨するという、ただならぬふん囲気がただよう。若い者は恋人をとら(盗)れたと、ベッドに伏して泣く者もいた。

 

  今にして思えば笑い話であるが、当時はだれも真剣であったので、こんな悲喜劇となった。私の恋文代理業はときに意外の方に波及して、とんだ悲喜劇となり、はなはだ遺憾である。

 宮島に比島での捕虜仲間の斎藤がいる。川柳作家で

 

 「捨てさうな煙草を捕虜は見のがさず」

という秀句がある。米兵がうまそうに喫煙している。もう捨てるだろうと、それとなく米兵のあとをつけ、捨てると先を競うて拾い吸った煙草の味が今も忘れられない。

 

  その斎藤は私が税務署で一人前につとめていることを不思議に思っている。というのは捕虜仲間で私が働かないことは有名であり、米兵もあきれるほどのなまけ者であったからである。

 

 私は捕虜になること自体が男の恥辱であるのに、そのうえ敵国のため働くのは恥の上ぬりであると信じ、だんことして働かなかった。

 

 朝、作業用のシャベルを土にたてると、その上に片足をかけ、そのままの姿勢で、流れる雲を仰いで祖国の妻子をおもい、詩や俳句を頭の中に描いて、日のくれるのを待っていた。米兵ガードは

 

 「ユー、モンキーハウス」

とおどかすが、私は泰然として、動かざること山のごとくであった。が、不思議なことに仲間は私を作業班長に推挙した。米兵も<変わったヤツだ>と私を朋友として愛した。

 

  米兵は作業班長の私にカービン銃を持たせて、彼は緑樹のかげで本国の妻へ愛の手紙を書く彼は毎日飛行便でくる愛妻への返信をかくのにいそがしい。

 

もし将校が巡察にきて、この軍律をみだした状況がみつかると、大変なことになるので、私は仲間を見はりに出して、ジープが近づくと手をあげて合図をするよう万全の工作をしていた。

 

  米兵が妻子の写真を見せる。

  「美人だ」

とお世辞をいうととても喜び、手紙もみせてくれる。なかなか味のある表現におどろくとともに、米国婦人が貞淑で教養高いことを知る。

 

  (坊やを抱いているとあなたの体温を感じます。じっと坊やを抱きしめて、戦地のあなたを身と心で、じかに感じ、あなたの深い愛情に感謝しています。休暇帰国を千秋の思いで待っております)

と、一読して、想恋夫の気持がひしひしと胸に迫る。そして最後にサインのかわりに赤いキスマークをしている。

 

  私は戦友と、軍事便でくる妻子の手紙をたがいに交換して読んだが、皆いちように

 

 「お国のために働いてください」

の一点ばりで、愛の告白は一片もなく、つめたい限りであった。

 

  「俺らは戦死すればいいのか」

という倒錯した感情となり、妻の冷たい心をうらんだものである。ただひとり中学校の先生だった立石の妻は、出征前夜の情事が忘れられないと、恋々の情を書いていたがあまり露骨すぎていた。

 

 日本婦人の貞淑さは世界になりひびいているが、日本の男性としては、その愛情については疑いを持っているのではないかと私は思う。唯々諾々と、男の言行にしたがう貞淑もよろしいが、もっと積極的に愛情を表現して、真の夫婦共同愛に生きねばならないと思う。

 

  男の愛の寄生虫たらず、愛とは、あたえることであると自覚し、その技術と、表現方法を勉強し、もう一つ高い教養を身につけねば、日本婦人は、外国婦人について行けず、ついに愛の落ご者になるのではないかと心配する。