8 『 納税者慰安の夕べ 』

 納税署長だから愛人をつくってはならないという法律はなく、女の一人や二人はいてもいいとおもうが、署長会議をど忘れするは論外というよりほかはなく、しかも、その会議は税務署の中の共産党のシンパを追放する大事な会議で、その該当者が津山署にいた。

 そのAの父は現職の間税課長であるが、局長命令だから退職させねばならぬ。

 

 岩国署にいたとき、共産党員の川上の首を斬ると、職務上怠慢はしなかったといい、出勤するのには困った。

 

 自前で千円の生菓子を買い、夜、Aの宅を訪ねて、

 

 『君が、署長とつかみ合いの喧嘩をしたのが悪い、税務署だけに太陽は照らんよ』

 

と、おだやかに退職を勧誘する、彼は無念そうに観念し、

 

 『それでは、署長をぶん殴らしてくれ』といふ、

 

 『腕力はいかん、君』と、なだめる。

 

 それから間もなく、署長はある閑職に左遷される。

 

 後任は局査察課長の馬場さんがくる。温和で包容力があり、総務事務と徴収事務は一切私にまかせる。

 

 岡山県は日本一の川柳王国で、津山市内にも川柳愛好家が多い。

 

  『ウム、川柳を納税宣伝に利用しよう』という妙案が浮ぶ。

 

 元来、文学と税は、水と油で共存し得ない体質だが、人情風俗をやゆする川柳は税金苦に悩む当時の納税者の共感を買い、新聞や俳句雑誌に税の川柳名句が、多数のっていた。が、納税思想の向上を目当てとする川柳は、どうかとおもうが。

 

 市内の川柳の大家で墓石屋の橋本石童さんと、薬局の小林白鳳さんに協力をお願いする。

 

 『おもしろい企画だ』

 

と、賛成してくれ大々的に山陽新聞に、『納税川柳』をもとむと広告する。すると、岡山県下は勿論、兵庫県内からも応募があり、二百余が応募し、句数は三百以上に及ぶ。

 

 これを選句し、確定申告前に桃色の色刷にして、新聞に折込み、全管内に配布する。

 

 <特選句>

 

・完納の町ウインドウの灯がきれい

 

・完納の父をほめる綴方

 

・滞納はないかと仲人つけくわえ

 

・地下袋できて税金をためていず

 

・納税をすませた肩を子にもませ

 

・わが力活かして今日の納税し

 

・納税は社会に生きるエチケット

 

<入選句>

 

・伸びる子に生き甲斐のある税納め

 

・税完納人生観が変ってき

 

・誠実な記帳明るい税がすみ

 

・完納をして税務署が親しまれ

 

 入選句はまだ多いが、入選句の中にも特選句に優るものがある。

 

 かくのごとく課長の私は、外の納税組合の育成と、一般納税者に川柳をもって納税道義の昂揚を図り、内は、平田次長と山本徴収係長が、また徴収職員が死力を尽し、努力した結果、収納率は全管内一位となる。

 

 国税局は、わが署の功績を高く評価し、表彰状とともに金二万円くれる。

 

 そこで、私は署長の許しを得て、その金を有効に使用しようと思い、劇場を二日間借りて『納税者慰安の夕べ』を催し、映画を上映し、奇術をし、日本舞踊をして、二日とも超満員となり、津山市民に好評を得る。

 

 だが、悪いこともあり、春の津山城の花見の宴に、ある業者から、鳥取署と津山署の所得税職員が饗おうをうけ、それがバレて、収賄事件となる。

 

 鳥取署員は数名豚箱に入るが、津山の職員は、私の処置で豚箱に入らなかった。

 

 先日、某署にいると、新任署長(当時の津山の第二係長)は、

 

『あなたのおかげで首にならず、署長までなりました』と、当時を回顧し、私に礼をいった。

 

9 『 税金取り新撰組の隊長 』

 野暮で、わがままな私のどこが気に入ったか、「国税局の税金取りの隊長になってくれ」と、たびたび誘いがかかる。

 野人を自認している私は、野におけ、蓮華草で、国税局はその都度断る。

 

 だが、強行に辞令を発し、津山署も一年にして国税局に入る。

 

 強気には強き、弱き者には弱い私は、弱ものいじめの滞納処分は不本意にて、忠海署(いまの竹原署)、岩国署、出雲署時代も、極力自分の差押えは避け、退避するが、若い職員は、苦手のところには身の危険を避けて、行かない。

 

 本郷町(忠海管内)は共産党が強く、若い職員は、滞納処分に行かない。

 

 余儀なく、いま三原市で、結婚センターをしている山路君を連れて行き、目抜きの商店街を、一軒一軒とたづね、「いま、すぐ税金を納めて下さい」と、頼むが、うしろに共産党という強みが、あってか、誰一人納めない。

 

 「オイ、山路君。、俺はやるぞ」という、目に見えぬ共産党に反発するという反逆心が湧き、片端しから差押えし、一時間余にして、十八軒の滞納者のタンス、家具を差押えする。

 

 こんあところに長居は無用と、おもての駅に馳けつけると、共産党員と、差押えた商人等数十人が私を追ってくる。切符も買わず、折りよくきた列車に飛び乗り、心中アバよ、とさけび署に帰る。

 

 岩国では、若いものと玖珂町にいき差押えすると、老婆が、デバボウチョウをかかげて追ってくるが、それを逃げて、駅に行くと、七、八人の町の若い者がいて、

 

「責任者のオ前はかえせん」と、私を取囲み、ついてこいというからついて行き、駅の倉庫裏に行き、私は殴ぐられるかと観念するが、

 

「課長さん、よろしく頼みます。あなたの名刺を下さい」

 

と、意外な彼らの態度に、私はあきれかえる。

 

   徴収官の歌

 

  ・はかなくもわが名はかなし徴収官、日日にはげしき性質となりつつ

 

  ・うきことに対抗えば勇気凛々と湧きいづるなりかなしといわん

 

  ・この道の荊なれどもわれいかむ税の権鬼といわれてもよし

 

  ・税鬼だと嗤い給うな詩もつくり畑も作れば妻も愛すよ

 

  ・さればて命短きわがいのち人にいとわれ悲しからずや

 

 最っとも深刻に私がやられたのは、忠海署時代、差押船で、生れ故郷の島に行き、島に一つしかない劇場(幼いとき活動写真や芝居の好きな私は、木戸銭=当時子供は二銭=を払わず、しのびこんだ)を差押え、

 

「納税は自主的に払うものだから、家具を積んだ荷車はあなたが、引きなさい。私はあと押する」

 

といい、差押船まで運ぶ道中に、

 

「あなたは古い家柄の高松家のお孫さんではないのですか」

 

と、いいえというが、私の正体を見破ぶる。

 

「良民を差押えして苦しめるのは、先祖に申し訳ない」

 

と、そのとき税吏の悲哀を、しみじみと、知る。

 

 その私が、中国五県の滞納者を取締り、税金を取立てする役目の隊長になるのは、悲しいことではあるが、官命には逆い難く、その任につく。

 

 私が統轄する職員は、国税局に三十人、各署に分駐するものが、二十人いる。皆、全管各署からあつめた税金取立のベテランと、国家試験による採用の大学出の優秀な猛者にして、自ら昭和の新撰組と、自負する一騎当千のつわものどもである。

 

 私はその隊長格の近藤勇という勇ましい役目である。

 

 まず、手はじめに、広島市で有名な羽田別荘の財産税の滞納取立にかかる。女主人は若く色白く豊満で、戦後の洋服婦人のトップレディで、お乳が見えるほどに、白い胸を表わし、悩ましく、私と応待し、待ってくれと、媚をこめていう、

 

「イヤ、瀬戸内海に浮ぶ絵の島を処分する」

 

と、強硬に出ると、彼女は絵の島を金四十万円(いまは数億円)で売り税金を納める。

 

 後日、加茂鶴が、人生劇場の作者の尾崎士郎先生の未亡人を松茸狩に招待し、私と妻は、尾崎先生との因縁で招待を受け、八本松の松茸狩にいくと、彼女もきていて、私に

 

「あなたは、むごい人だ」

 

といわれ、恐縮する。

 

10 『 天皇降臨の工場を差押う 』

 私の座右の銘

・失意泰然、得意冷然

 

 もう一つは明治天皇の御製

 

・さし昇る朝日のごとくさわやかに

 

  もたまほしきはこころなりけり

 

 男の人生街道は栄華盛衰は常にして、私のごとく、毎年毎年一年毎に転勤させられ、その度に左遷だ、横すべりだと、ひがみ、お上を恨んでいたは、わが身がもたない。

 

 判任六級の青年官吏として威張ったのが、赤紙の応召命令がくれば、星一つの新兵となり、戦場で人夫となり、一工兵として土方で働き、五年間も弾雨下にいれば、糞度胸がつき、図太い人間になったのは、私の罪ではあるまい。

 

 だから、混乱した戦後の税務署の第一線においても、冷然として事に処し、泰然として、反税闘争に、わが身をゆだねる。

 

 が、心は常にさわやかに心掛け、強い共産党員にも、弱い納税者にも優しく接する、脱税は悪であるから断固処分し、滞納は善ではないから処分する。

 

 もっと深く言えば法は平等にして、税の秩序を破壊せんとする者は、これを弾圧し、滞納者を放置するは、真面目な納税者にすまないから差押せねばならない。

 

 世間は私達税吏を鬼というが、私はそうはおもわず、税吏は税法を守る番人にして、その責任が重大であるという強い責任感と強い正義感をもってないと、税務署には、馬鹿らしくて勤められない。

 

 戦後、天皇陛下福山市に御巡幸のとき、一個人会社を視察される。

 

 山口製作所といい、製縄機を作る会社で、社長山口一王氏で事業家というより発明家である。

 

 能率のいい縄網み機械を発明し、この機械は全国各地のとくに東北地方の農家が、田畝に腐らす藁を縄として、東京、大阪に売り儲ける。その頃、縄は建築資材の一部であり飛ぶように売れた。

 

 廃墟と化した都市の再建は木造家屋であったから、縄が必要であったが、いまは、その縄の一本も見ることが出来ず、今昔のおもいがする。

 

 その縄の製縄機の発明により全国の農家をうるおした山口さんは、地方産業発展に貢献し、緑受表彰をうける。

 

 広島県知事は、陛下の巡行の行程の中に山口製作所を入れ、山口社長は、自分の工場で、畏くも陛下に拝謁する。

 

 わたくしなど国税徴収官の任務は全管五十一署の徴収困難な百万円以上の滞納者を整理するを目的とし、当時広島国税局管内の滞納総額は十億円あったが、その大半をわらわれが担当していた。

 

 本編の山口製作所はある投書により多額の脱税が発見し数百万円を滞納する。同行の○○君(現○○署)は、天皇陛下も糞もあるかと、勇猛心を抱き山口社長に強硬だが。

 

 私は陛下御臨幸の写真が社長室にかかり、産業功労者の山口社長に敬愛の念をなきを得ない。

 

 山口さんは普通の民家に住み、ひどい喘息に苦しみ、発明に余念がない「国家から表彰を受けた社長さんが、脱税をしてはいけませんね」

 

 「私は発明に没頭し、経理は全部重役に任していた、うちの会社が脱税しているとは思わない」

 

 と、発作の喘息に苦しみ、息をつまらせ、とぎれとぎれに苦しいように答え、

 

 察するに重役間に内紛があり、山口社長の知らない金が動き、重役に着服されているのである。 

 

 まづ、会社の財産を差押えるが、それでも足りない。最後の切札として、個人の山口さんに連帯保証させ、個人の家、土地を差押えした。

 

 もう一人国家に多額の寄附をして勲章をもらっていた宮本某も滞納したので、広島市吉島の大料亭(現在郵政省の共済会館)も差押える。

 

 税は人を選ばず、冷酷にして残忍ではある。

 

11 『 美男税吏と人妻 』

 対岸は 梅の寺なり 造船所

 この句は、昔の月刊誌ホトトギスに載っていたが、作者は虚子の高弟であったとおもう。

 

 春の尾道を訪れ狭い海峡の浜の景色をよく詠んでいる。 

 

 瀬戸内海の春は波も穏やかに、島々はおぼろな霞の中に眠るごとく、桃の花が咲き一幅の絵だ。

 

 ポンポン蒸気船は、ポンポコポンポコと、エンジンの音を立て、平和な島々を巡航する。やがて、巡航船は江田島兵学校が、対岸に見える小さな港に着く。

 

 海辺で日向ぼっこしている老婆に道をきくと、私達二人をギロリと視て、「デイムショだろう、鞄をもっているのは、デイムショにちがいあるまい、島には用はないぞ、早くイニャーガレ」と、ぬかす。

 

 「この糞老婆め」と、心中の蟲が、立腹するが、そのまま黙って行きかけると、「ゼイムショには嫁はやらんぞ」と、侮蔑を浴びせかける、ムツとして「ばあさん、いらん心配すな、税務署員は、色が黒く大根足の島の娘は、やるといっても、こっちがことわるよ」

 

 「税務署の者は皆美人の奥さんを貰ってるよ」

 

 と、無智で無礼なババアを相手にする気はないが、売り言葉には一矢をむくいざるを得ず、云い返し、後を見ず行く、私自身、ほど遠からぬ島々に生れ、妻も島生れだが、妻は醜女ではない。

 

 世間に税鬼と嫌われるが、不思議なことに税吏の妻は美人である。

 

 出雲時代に、闇金貸しを差押ええると、二日も文句をいいに署にきたその男が、夜、自宅を訪ねてきて、

 

 「税金のことは観念した。娘がいるので税務署員に世話してください」と、

 

 「税務署は憎まれますヨ」と、

 

 「イヤ、税務署の方は頭がよくて、見込みがあります。是非お願いします」

 

 と、頼む、昨日の敵は今日の友になってくれたと、おもいご協力を約す。

 

 その頃、札幌市の金持が、娘の婿に税務署員をむかえるが、安くなるだろうとおもっていた税金が、毎年々々高くなり、目算がはずれたので、養子縁組を解消したという笑えぬ実話がある。 

 

 閑話休題

 

 狭い島だかが目的の煉瓦屋はすぐ分る。この煉瓦屋の大将に若い署員が、謝ってもすまぬ不義理をしているので、私は極めて丁重な言葉で「税金がたまっています、納めて下さい」「すこし、待ってくれ田畑をとられ、その上、女房まで・・・・・・・・・」と、血相をかえ満面朱となり、仁王立ちとなり、私に襲いかからんとするその凄しい剣幕に怖びえ、「オイ、M君、かえろう」と鞄をさげ、逃げるように、その煉瓦屋を辞す。

 

 まさか、逃げた女房のことを、本人は口にすまいと、甘くみていたのが、失敗で、私の強い一言に、煉瓦屋の大将は、平素の不満が爆発したのだ。

 

 若い美男のA徴収係長が、税金の取立てに煉瓦屋に、しげしげ行くうちに十五も年上の煉瓦屋の女房は映画俳優に似たA君に惚れ、A君のもとに逃げる。

 

 若い徴収員は、この間の事情を知り、煉瓦屋の大将に同情し、誰れも税金の取立に行かない。私も行きたくはないが、課長の立場上、勇気をふるって虎穴に入るが、煉瓦屋に惻隠の情がありて、尻っぽをまいてかえる。

 

 美男A君は大阪局に転勤となり、広島駅に見送りに出ると、煉瓦屋の女房は、四輌の前の列車の窓から顔を出し、見送人の私達を、じっとみていた。

 

12 『 私の回顧録 』

   戦後、中国五県のやくざの親分は、西は下関の○○、東は児島の○○○こと、○○と広島の○○○の○○である。

 ○○の初代は、下関と九州博多に多く輩下をもち、博徒大親分であるが。

 

 二代目は、丹下左膳のごとく、左頬に長い刀傷のあとが流れていた。一見、凄味があるが度胸はなく、私が税金を取立に行くと、殊さらに不在といい、私を避け、一度は三時間も私を応接室に待たせたことがある。

 

 広島東署の若い署員が、百米道路から福屋に通ずる道路で、出前を運ぶ若い男をはねる、頭に二週間の打撲傷をうけ、入院する。若い男は○○○の従業員である。

 

 これは、相手が悪く、大変だと、案んじつつ、若い署員と陳謝にいくと、

 

 ○○親分は、

 

 「交通事故は、お互いさまです」と寛容である。

 

 ○○○の大親分だから、人相が悪いと想像し、恐る恐る行くが、色白の優男で歌舞伎の役者に似た美男であるのに驚く。これが、ピストル乱射の総元締めの○○○の会長とはおもえない。

 

 「○○○を解消し、広島を平和で住み易いところにして下さいよ」

 

と、私は憶せずいう。

 

 「私は、いま会長は辞任しているが、組員を見捨ることは出きず、小使いをやるので組員と縁が切れないのです」

 

と、やくざ仁義の苦しみをいう、人間味のある親分で、世間や新聞が叩くほどの悪人ではなく、むしろ好紳士である。

 

 しかし私のためには十人や二十人は死んで呉れるでしょうと、いうには少なからず恐怖を感ずる。

 

 児島の○○○こと○○は、終戦後密輸入し、自治警察に捕まるや、組員に留置場に火をつけさして逃げたという悪人であるが、私が会った頃は市会議長である。

 

 「税務署の雑魚か、かえれ」

 

と、若い署員は追いかえされる。

 

 私はあることで、彼を知っているので○宅にいく。

 

 「あんたか、あがれ」

 

 「イヤ、税金を納めんと、あがらん」

 

 「そういわず、あがれ、納めるよ」

 

 奥の座敷にドカンと腰をおとし、あぐらで坐る、キチンと正座するのが礼ではあるが、やくざには、やくざにならないと、対等の勝負は出来ない。

 

 色白い女中らしい若い女がビールをもってくる。

 

 「呑め」

 

 「イヤ、呑まん」

 

 「呑まんと、税金は納めん」

 

 「オ前も、呑め」

 

と、女にいう、私は公務中に納税者の酒を呑むのは、よろしからぬとおもうが、相手が悪いからと観念する。

 

 「俺の指輪と女房の指輪は、同形で純金だ」

 

と、女と○○は私の目の前に二人の指を出す、そのとき女は○だと知るが、年齢は三十以上差がある。

 

 そのとき玄関に人声があり女は出ていき、

 

 「○○が、西瓜を荷車一杯もってきました」

 

 「もらっておけ」

 

と、親分は応揚である。その西瓜を食っていると、坊主頭の若者がくる。

 

 「親分、只今出獄しました」

 

 「ご苦労、オイこれに五万円やれ」

 

 「姐御、ありがとうござんす」

 

と、青い坊主頭の若者は、平くもの様になり、若い女に頭を下げる。

 

 目の前に、映画のやくざの場面が演出され、私も一方の親分として、その画中にいるごとき錯覚をおぼえる。

 

 「税金二十万出せ」

 

 「今日は五万円やったから、五万円だ:

 

 「ナニ、広島からきて、そんな端した金はいらんよ、あしたくる」

 

と、○宅を辞し、宿にかえると、別行動の徴収官が、

 

 「今日はやくざ二人に日本刀をふりまわされ、一軒も差押し得なかった」

 

と、無念相にいう。その夜、彼は心臓病をおこし急死するが、側にねた私も同行の若い者も知らず、翌朝、死を知り大あわてし、悲しみに泣く!

 

(2)

いつか、この誌上で、民商の発祥地は松江だ、と書いたら、ある先輩は「そうとは思わない」と反論される。

 

 たしかに戦後の広島における主体は、段原大畑町に本拠を置く広島商工企業組合(専務理事長○○○○氏)で、三次、可部、海田、西条に支部があり、組合員数100人、事業所400ヶ所をもち、25年10月に法人登記をなす。これに対し局および署員は警察官の応援を得て、市内の各営業所を調査した。

 

 先方はこれに対し、人集め作戦と野次戦術をもって「不当調査だ」と、気勢をあげるが、証拠書類を押収し、公務執行妨害で逮捕される者も出た。

 

 その後にして八丁堀の路地裏に「民主商工会」の看板をかかげ、「民商に加入すれば、税金が安くなる」と皆に宣伝し、勢力の拡張を企図す。

 

 この人は現広島市議会議員の○○氏である。○○氏はシベリア抑留生活で洗脳され、共産党員となり、松江民商に数年いて、広島入りをし、今日の地盤を築く、山陽路における民商の起爆地は、広島の民商であることは否定出来得ず、さらば、民商の本家は、松江だと、推論する所存である。

 

 民商の所得調査には直税職員は困った、臨場すると、帳簿は本部にあると電話す。すると忽ち多勢の組合員が、押寄せ、「税務調査は不当だ」と妨害する。

 

 これは彼等の全国的な作戦で、名古屋では東税務署に、民商会員70人が、調査は不当だと叫び、机、椅子のバリケードを突破し、署内に乱入したとのこと。

 

 私も岩国署時代に、共産党員の時計屋を押えると「違法差押えだ」と、共産党員数十名が押寄せたので、「退去命令」を出すや、彼等は突撃と叫び、カウンターを乗越えて乱入す。

 

 このことを予期し、警察官の応援をもとめ、庭に待機していてこれを防ぐ、後日、若者一人を不法侵入在で告訴する。岡山県民商の滞納処分でも苦労する。故人の○○○○君(当時岡山署徴収課長)と三人で清輝橋呉服商の差押えに行くと、組合員がぞくぞく集り、そのかず数十人に及び、それに野次馬の群集百余人が店頭を埋め、こうなると意地でも目的を達成せねばという勇猛心が湧き、延々三時間も彼等と論戦したのち現金を差押う。○○君こそ生粋の徴収人にして、口は悪いが気に満ち、その功績は大きく、戦後の税金史を飾る一人である。

 

 

13 『 不死身の滞納者 』

 

 

 昨年の春、男と離別し、一人娘と暮す女が、近所にささやかなパン屋を開き、青色申告を教えてくれと、訪ねてき「税金は怖い、終戦のころ一家心中をし、女中と犬までも共に死ぬ」という

 「それは事実か」と、私は心中驚天し、ききただす。

 

 戦後の徴税攻勢に重税のため倒産し、また自殺したという者がいたが、その真相は借金のため、どうにもならず倒産し夜逃げし、また借金に悩み、それを苦に自殺し、税金が直接の原因でなかったーと私は思う。

 

 ただ一人、九州の筑紫海岸に、老人の死体が浮ぶ、その懐には、吉田首相あてに「重税のため生きていけない」という遺書をもつ。

 

 もう一人、三重県鈴鹿市の桶屋さんは、わざわざ東京まで出向き、大蔵省の便所で税金を怨み服毒自殺した。

 

 この二人は、税の悲しい犠牲者であるが、桶屋さんは所得税の納税者ではなく、事業税を滞納していた。

 

 その頃、百万円以上の徴収困難な滞納者が、全管に六百余件あり、その整理に私達国税徴収官が当る。

 

 ある者は、やくざに日本刀をぬいておどかされ、ある者は魚類の冷凍室に入ると、滞納者に外から鍵をかけられるなど、言語に絶する場面に遭遇し、児島の学生服の製造場を公売にかけると、「これは私が六十年をかけた命の結晶だ、オ前を呪い殺す」と老人に怨まれる。

 

 この工場を公売のとき、朝鮮動乱で古鉄がトンニ万円の高値となり、大阪、下関の古鉄商とやくざが数十人もき、一つ誤れば血を見るという危ぶない橋も渡る。

 

 広島の○○会の若い者とも数回論争するなど、いろいろ苦労するが、ともかく大半整理した。

 

 広島の横川の一業者には手を焼く、測量器具をもつ業者なので、それを差押えると、「それは、個人の所有物でない。有限会社のものだ*

 

 と血相をかえて国税局に怒鳴りこむ。それならば有限会社のものとして差押えると、「イヤ、それは株式会社の所有だ」と、言をひるがえす。

 

 同一営業所に個人何某と、有限会社と株式会社を設立し、それぞれ滞納する悪智恵の働く男だ。請負業だから発註人を探し、未収の売上金を差押えると、広島県内で仕事せず、四国に行き仕事をする。

 

 それを探査し、四国の税務署に徴収委託し差押えると、彼は立腹し、わが家に顔面朱となり、どなりこみ、「家を焼打する」といきまく。、「どうぞ官舎だから」と、私は平然とやりかえす。

 

 世は、鍋底景気の不況となり、会社更生法が施行されるや直ちに申請する。国側は反対陳述するが、裁判所は認可し、我が国の第一号の会社更生法会社となり、鳴海公認会計士が管財人となる。

 

14 『 手文庫の中は 』

 終戦後に、脱税を密告下された方には、一割の報奨金を差しあげます、というおもしろい制度があった。

 その頃、なお戦時中の物価統制令という法律が生きていて、米、塩の食料品などと、衣類、鉄・木材の主要必需品は、従前のままの価格で押えられていたが、

 

 世は物資不足にて、いわゆる闇価にて闇屋が横行し、闇屋ならざる者はなく、百姓も商人も、みなすねに傷もつ者ばかりだから、他人の脱税を税務署に密告する正直者がなく、この珍案も税務署が期待するほどの効果はなかった。

 

 山口という検事様は、法律を守る番人が、闇米を買い、食うは法律違反だとされて、僅かの配給米で我慢なされたが、栄養失調となり死亡なさる。新聞は、これを殉死なりと書き立てた。

 

 商人は、闇価を正直にそのまま帳簿につければ、物価統制違反として警察に検挙される。

 

 そこで、警察用と税務署用の二つの帳簿を備えなくてはならない破目になるのであるが、かかる正直な商人は、万人中一人位はいたが、多くは意識的に帳簿を誤魔化し脱税をしていた。

 

 従って税務調査は困難を極めたので、脱税通報という珍案を大蔵省は考案したのであろう。

 

 この密告の殆んどは、会社を首にされた従業員が、江戸の敵を税金で復讐するという卑屈者の仕業であったが、営業の内容を知るものの通報ゆえに、その精度は高かった。

 

 その頃、戦災都市の復興で木材が急騰し材木商が、ボロ儲けをする。

 

 津山近郊のある材木商は、若い妻と、若い会計係が、怪しいと邪推し、会計を首にする。

 

 若者は腹いせに材木商の脱税を密告する。調査の結果、二百万円余の課税する。

 

 若者某は、電話で「報償金はまだか、三十万円位は下さい」という。

 

 材木商に課税はしたが材木商は逃げて一文も納めない。

 

 この密告の課税徴収は、国税局の所管であり、○○国税徴収官は、市内の銀行を洗うと、一日違いで、百万円余の払戻しがされていた。

 

 ○○君は材木商の人相をきき、足取りを追い、追跡していると、ばったり津山橋畔で、本人と邂合し、「オイ税金を納め」「イヤ金がない」というが、懐中に何か隠していることに目がつき、『オイ、金だろう』と、鋭く追及すると、観念し、持金全部を渋々出す。

 

 その足で不足分の徴収に本人宅にいくと、若い妻一人がいた。

 

 徴収官の身分証明書を示し、家中捜し最後に女房の部屋に入らんとするや、女は手文庫を小脇に抱えて脱兎の如く便所の中に逃げこむ。

 

 「オイ出てこい、をの小箱を渡せ」、と便所の内と外で小半時間も押し問答する。女は「これだけは勘弁して下さい」と、便所の中で泣くが観念し、その小箱を放り出す。○○君は喜び、手文庫を開けるが一文の金はなく、サックが一杯つまっていて唖然とした。